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カテゴリ:宗教と社会
求められる企業のあり方 日本大学教授 鈴木 由紀子さん
根底に「人間革命」の思想を 経営学を専門とする私は、企業と社会の関係性や企業倫理の研究をしていますが、今回のコロナ禍によって、企業においても難しいかじ取りが求められていると感じます。 たとえば、映画館やスポーツ施設等は、多くの観客が入ることで価格も手の届くものになっていました。航空機などの乗り者も同様でしょう。しかし、大企業から個人商店まで、あらゆる経営者に身体的距離の確保を求められることで、これまでの世界で当たり前とされてきた「効率性」という価値観が奪われ、今後のあり方を模索しなければならなくなったのです。 そもそも、企業は効率性をあげ、利潤を追求することを第一義に掲げます。それが人びとに豊かな生活をもたらしたことは事実かもしれませんが、それぞれの企業が自社の利潤にしか目を向けなくなってしまえば、ひいては利潤を巡る争いが社会全体に広がってしまい、時には対立の火種になってしまいます。単に効率性といっても、なにを目指して効率化していくンのか。そして今後の社会にあって、企業は何を根底に置いて進むべきか。危機の今こそ、それらを問い直さなければならないと思えてなりません。 これまでも社会における企業のあり方は、時代とともに変化してきました。日本では1950年代から公害問題が深刻化しましたが、バブル経済期には企業の文化芸術支援活動も脚光を浴び、平成不況期には企業倫理が問題となりました。そして2000年代には、企業が社会に対して果たす責務を示す「CSR」という言葉が定着し、環境や貧困・人権問題などから社会的にも「持続可能な開発」が指摘されるようになり、現在は企業もそれらへの貢献が求められるようになりました。 こうした変遷の中にあって、これらの時代に求められていくのは、初代会長・牧口先生が『人生地理学』で提唱されたように、多くの人の犠牲の上に自らの安全と繁栄を追い求める軍事的・政治的・経済競争ではなく、「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」との理念に基づく人道的競争だと思うのです。 私の研究分野でも〝企業を取り巻く環境への影響を配慮することで、自己利益も公益も増進させること〟を意味する「啓発された自己利益」との言葉があります。人道的競争に通じるものであり、牧口先生の先見性を感じずにはいられません。すでに、良識ある人びとの中では「より良いものを目指す競争」ということも言われています。 しかし、企業が高まいなり王を掲げても、企業をつくるのは人間であり、人間が変わらないと企業も変わりません。社会貢献を掲げる企業が増えても、その中から会計不正や検査データの改ざん、消費者に危害をもたらす商品による副作用や事故といった問題が相次いでいるのは、その証左ではないでしょうか。 問題が起る前は「誤差のうちだ」「他の会社もやっている」と自らを納得させているのかもしれませんが、こうした背景には、〝自己の良心に照らしてやるべきではない〟という倫理観の欠如や、〝自分は企業の中の単なる一人に過ぎない〟という責任逃れの心があると思えてなりません。 日蓮大聖人は「立正安国論」で「汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(御書31㌻)と仰せです。企業を支える一人一人にあっても、〝社会をより良くしたい〟との大きな使命感に立ってこそ、企業の掲げる理想は輝き、その中で働く人々の充実もあるのだと思います。 そうした意味からも、社会のために尽くす「本物の一人」を育てる学会の運動、そして〝一人から地域、世界を変えていく〟との「人間革命」の思想は、これからの社会を築く上で、重要な力になっていくと確信します。 (総神奈川副学術部長)
【現代と仏法「学術者はこう見る」第23回】聖教新聞2020.7.27 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
July 5, 2021 03:34:40 AM
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