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カテゴリ:コラム
器を煮る 京都先端科学大学教授 山本 淳子 幼い頃、私の家では誰かが風邪をひくと、その家族の使った食器を大鍋でぐらぐら煮ていた。煮沸消毒である。今考えれば少し過敏なようにも感じられる感染症対策だ。昭和の中頃には、どこの家でも同じようにしていたものだろうか。いや、誰かに確かめたわけではないが、恐らくそうではないと思う。 私は子ども心に、これが病気の時の常識なのだと思っていた。やがて薄々そうではない気が付いてからも、母や祖母に理由を尋ねることは何となくはばかられた。だからこれは憶測なのだが、祖母が娘を腸チフスで亡くしていることがかかわっているのだと思う。 私が生まれるずっと前の事だ。私にとってのその人は、仏壇に置かれている写真、一枚は着物姿で日本舞踊のポーズをとり、一枚は節目のアップで襟元にはセーラー服がのぞく、色白の綺麗な人だった。 時代から推測して、高等女学校だと思う。入学の難しいその学校に、彼女は合格した。一方、親戚の男の子も同じく難関の高校に合格した。二つの家族は喜び、料亭で会食して祝った。ところがそこで、若い二人だけが腸チフスに感染し、二人ながら亡くなった。 祖母は病室につききりで看病し、ほぼ病は癒えたかに思えたらしく、昼食を取りに出ていた。ところがその間に様態が急変し、彼女はなくなってしまったのだという。小さなころに、断片的に聞いただけの話だから、確かでない所があるかもしれない。だがこれが悲劇であったことは、間違いあるまい。後年、祖母が家族の健康を異常なほど気遣ったのは、この悲しみからではなかったか。 いま改めて、世界中のコロナ禍の死者を思う。突然に襲われ、喪われた命たちだ。つらかっただろう、無念だっただろう。悼む言葉は月並みなものしか浮かばない。が、月並みでいいのだと思う。人が人を悼む思いは同じだ。
【言葉の遠近法】公明新聞2020.9.23 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 7, 2021 05:15:12 AM
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