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September 8, 2021
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カテゴリ:教学

33回 西山殿

西山殿は、駿河国(静岡県中央部)富士上方西山郷に住む武士の門下です。居住する地名から「西山殿」と呼ばれていましたが、実名(本名)など詳細は明らかではありません。

西山殿の一族は、御家人の大宅氏に連なる一族とされています。大宅氏の家系図によると、大宅光延は、源頼朝から駿河国の高橋、由比、西山の領地を与えられています。その光延の息子の代から、高橋氏、由比氏、西山氏の3氏に分かれ、西山殿は、この3氏の一つである西山氏の一族とされているのです。

駿河国の有力門下には、西山殿以外にも南条氏がいました。また、西山氏と近い一族である高橋氏や由比氏にも多くの門下がいたことから、駿河方面で日興上人の教化が盛んに行われ、駿河国で互いにつながりがある武家の間にも、妙法が広がっていたのではないかと考えられます。

数々のお手紙によって、西山殿は、青豆や筍などの食物や金銭を身延にお届けし、日蓮大聖人の御家洞を支えていたことが分かります。駿河国の一宮であった浅間神社の造営という大掛かりな工事と農繁期が重なり、多忙だった時期でも、大聖人への御供養を欠かさなかった西山殿の〝志〟を、大聖人はとても賞賛されています(1476㌻参照)。

 

仏になるためには

善き師を求めるしかない

 

師を求め駿河から身延へ

文永11年(1274年)5月、大聖人は、佐渡流罪の赦免後ほどなく、鎌倉から身延へ移られます。しかし、幕府の目が厳しく、駿河に足を延ばして主立った門下の所を訪れることもできませんでした。

西山殿へ送られたお手紙では、「あなたの所に親しく行ってさしあげたい。しかし、私が行ったために、世間の人があれこれと言うようなことがあってはいけませんので、見合わせることにしました」(1473㌻、趣意)と仰せです。

さらに別のお手紙では、西山殿が駿河から身延の大聖人のもとを訪れたことを「過去セ世に、どのような善根を積まれた功徳で、今、日蓮を訪ねくださっているのであろうか」(1472㌻、通解)とたたえられています。

これらのことを踏まえると、西山殿は駿河国の主要な門下であり、駿河から身延の大聖人のもとを訪れる求道心のある弟子でしたが、大聖人は西山殿の社会的な立場を考慮され、御自身からお会いすることに慎重を期されていたのではないかと思われます。

真心には真心をと

師弟の心の交流

 

「善智識」の大切さ

西山殿は、建治元年(1275年)6月の御述作とされる「三三蔵祈雨事」を頂いています(翌年の建治2年に著されたという説もあります)。その冒頭で大聖人は、樹木と大風などの譬えを用いて「善智識」の大切さを教えられています。

「そもそも、木を植える場合、大風が吹いたとしても、強い支えがあれば倒れません。もともと生えていた木であっても、根の弱いものは倒れてしまいます。弱く不甲斐ない者であっても、独りであれば悪い道では倒れてしまいます。(中略)仏になる道は善智識に勝るものはありません。わが智慧は何の役に立つでしょう。ただ暑さ寒さを知るだけの智慧でもあるならば善智識が大切なのです」(1468㌻、通解)

「善智識」とは、正しい仏法に導いてくれる人、すなわち、「善き師匠」であり、「善き同志」であり、「善き友」のことを指します。仏になる道以外に、「生死」という人生の根源的な苦悩を乗り越える方途はありません。だからこそ、「善智識」を求めることが、何よりも大切であることを強調されているのです。

当時、民衆救済の大闘争を門下に強く呼び掛けられた大聖人に呼応し、各地の門下が妙法弘通に立ち上がっていました。それにともない、大聖人一門を敵視する高僧や幕府権力者の働きかけを背景に、四条金吾、池上兄弟ら大聖人の門下には、主君や同僚、父親などからさまざまな圧迫が加えられていました。

特に、西山殿が住む駿河国の富士方面は、幕府権力者の領地が多い地域です。また、西山殿の一家は、日興上人とゆかりの深い一族であると推測されています。西山殿にも種々の圧力が加えられたことでしょう。そのような逆境の中、西山殿は大聖人にたびたび御供養をお届けしていたのです。

そうしただしの状況を踏まえて、大聖人は西山殿に対し、どこまでも大聖人を根本の師と定めて信心の正道を歩み、同じ志を持つ同志と学びあげ増し合うよう教えられたものと拝されます。

他にも、師に連なる同志と信心を学ぶ大切さを、西山殿に教えられています。建治・弘安期の御執筆とされるお手紙の一部(断簡)では、「あなたは普段から求道心が厚いので、ここでは法門の名称だけを記しました。法門の内容については、同行の者から聞きなさい」(1477㌻、趣意)と仰せになっています。

「三三蔵貴祈雨事」では、「善智識」を求めていくように訴えられるとともに、悪世末法で人々を悪道に陥れる「悪知識」、すなわち「悪師」を鋭く見破るように戒められています。当時、幕府は蒙古襲来に危機感を覚え、諸宗に蒙古調伏の祈祷を行わせていました。西山殿にも、さまざまな悪縁が身に迫っていたかもしれません。

だからこそ、大聖人は西山殿の求道心あふれる信心をたたえられる一方で、須梨槃特(釈尊の弟子で、愚鈍といわれたが仏の教えをひたむきに修行し、覚りを得た)のように、よりいっそう純真な信心を貫くように教えられたのです(1472㌻参照)。

 

 

嘆きの中でも

この「三三蔵祈雨事」から3カ月ほど後に送られた御消息に、「蒙古使御書」があります。当時、西山殿は鎌倉での役務を終えて駿河に帰国。早速、大聖人へ使者を遣わして無事帰国を報告し、御供養の品々を届けました。これに対して、大聖人も直ちに御返事を認められたのです。

この返書の冒頭で、「(西山殿が無事に帰国された)うれしさは、申し上げようもないほどである」(1472㌻、通解)と仰せです。

改めて確認すれば、当時は第1次蒙古襲来(文永の役)の翌年にあたり、蒙古の再襲来への不安から、人心は荒れ、不穏な世相でした。

大聖人は、門下の些細な行き来や安全に深く心を配られていました。西山殿が、そうした師の心に応え、素早く、〝無事帰国〟をお伝えしたことで、大聖人も心から安心され、喜ばれたのです。まさに、うるわしい師弟の心の交流といえましょう。

西山殿は、この報告の際、幕府が蒙古からの使者を竜の口で斬首したことをお知らせしたようです(斬首は97日)。

それに対し、大聖人は、何の罪もない蒙古の使いに対する幕府の非人道的な暴挙を嘆き憤り、「不敏に候へ」(同㌻)と心情をつづられています。

さらに、このお手紙では、日本中が蒙古再来に大きな不安を抱いており、日蓮門下も例外ではないが、成仏の大法を受持する日蓮門下は、いかなる苦難にあったとしても、必ず守られることを教えられているのです。

その具体例として、大聖人は「あなたは、すでに蒙古国から恩を受けているのですよ」(1473㌻、趣意)と仰せです。この年は、北条時頼の十三回忌の行事として、西山殿の所領で「御狩(みかり)(祭礼行事として行われる狩猟)が予定されていましたが、蒙古襲来の動きのために取りやめになりました。その結果、西山殿は、煩わしい気遣いや出費を免れることができたのだ、といわれているのです。

また、西山殿は、本来蒙古襲来に備えて筑紫(九州)の警護へ派遣されることになっていました。それが、どのような経緯かはわかりませんが、警護に就かずに済んだのです。

「筑紫に行かないのは、あなたとして不本意ではありましょうが、法華経によって守られたのでしょう。大変喜ばしいことであり、あなたに直接お会いして、お祝いを申し上げたいくらいです」(同㌻、趣意)と仰せです。

池田先生は、この時の西山殿への励ましについて、こう語られています。

「蒙古の問題で世情が騒然とし、皆、苦悩と不安におののいているなかで、大聖人は『あなたにとっては良いことでした』と、全てを積極的に捉え、法華経に感謝していくよう教えられているのである。同じ現象でも、どうとらえるかによって、その意味はまったく違ってくる。その意味で、信心は、すべてを前向きに受け止めていく心の〝バネ〟とも言えまいか。とともに、どんなに変化に満ちた道のりも、一念の〝ハンドル〟によって、正しき方向へ、歓喜と満足の方向へ、そして幸福の方向へと、力強く回転させていく。これが妙法なのである」(『池田大作全集』第75巻)と。

 

 

純白な雪のように

大聖人は、建治2年(1276年)のお手紙でも、悪縁に分銅されることなく、確固たる信心を貫き、成仏を遂げるように西山殿を励まされています。

「雪は極めて白いものであるから、染めようにも染めることはできません。雪や漆と違って、人の心は移ろいやすく、善にも悪にも染められるのです。法華経に染められれば、必ず仏になることができます。貴女は、純白な雪のように、混じりけのない黒漆のように、純真な信心を貫いていきなさい」(1474㌻、趣意)

〝師から繰り返し教えられた人身な信心の道を、ただ、ひたむきにまっすぐ進もう〟—深く決意した西山殿は、悪縁に粉動されることなく、障魔を跳ね返し、駿河の門下の模範となっていったことでしょう。

 

 

日蓮門下の人間群像師弟の絆、広布の旅路】大白蓮華202010月号






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Last updated  September 8, 2021 06:15:11 AM
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