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カテゴリ:名字の言
主体者として立ち上がる一念 動詞で「~される」などの受動態を多用すると、文章が弱々しく、まわりくどく、煩雑になる—アメリカの作家スティーブ・キング氏が指南している。「自信を持ち、能動態でどんどん書き進めて行けばいい。それで何も問題はない」と(『書くことについて』田村義進訳、小学館文庫) ▼法華経に、常不軽菩薩という名の菩薩が登場する。鳩摩羅什の訳では「常に(人を)軽んじなかった」菩薩。一方、サンスクリット(古代インドの文章語)では、反対に「常に(人から)かろんじられた」に意味だったという ▼常不軽は自分がいくら軽蔑されても、人々に「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず」と説いた。その行動こそ、人々を「軽んじない」万人尊敬の教えそのものである。常不軽を受動の菩薩として捉えることで、法華経の模範の修行者としての姿が浮き彫りになる ▼いかなる分野でも、受け身の姿勢では大事を成し遂げることはできまい。傍観者ではなく、主体者として立ち上がる一念の変革に、人間革命の鍵もある。大切なのは、自らの目標を決めること。そして、達成に向けて祈り、動くことだ ▼「創価」には「価値を創造する」との意味が込められている。その名が示す通り、自発能動の生き方を貫いていきたい。
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Last updated
September 10, 2021 05:22:00 AM
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