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カテゴリ:文化
人々の感情あふれる〝住所の物語〟 翻訳家 神谷 栞里
人種問題を浮き彫りにし階層意識の植えつけにも 住所に対して、怒りや喜びを感じたことがあるだろうか。日本に住んでいると、住所が喜怒哀楽を生むことはあまりない。しかし、本書が紹介する〝住所の物語〟には、人々の感情があふれていて、読む者はそこに他者の人生を垣間見る。 物語はまず、「住所を持たない」インドのスラム街から始まった。マザー・テレサによって、絶望の町として世界中で有名になったコルカタ(旧カルカッタ)。スラム街には、住所を持たないがゆえに身分証明ができない人たちがいる。著者は、スラム街で住所の付与活動をするNGOを取材し、掘立小屋に住む女性が「私も住所が欲しい」と求める場面に遭遇した。手続きを済ませてほほ笑む彼女のなかに、喜びがあった。それは、社会の一員になれたという帰属感の表れである。人は、住所を通して帰属意識を持つのだ。 ドイツでは、人種にまつわる悲しい物語が繰り広げられた。ナチスが台頭する前、ドイツには「ユダヤ人通り」が数多くあった。しかし、ヒトラーが権力を握ると、その名称は忽然と消し、ナチスは通りを解消してプロパガンダに利用した。 ところが、ヒトラーの自死後、連合国政府は一転して非ナチ化を進める。解消された通りの名が「ユダヤ人通り」に戻されたり、反ナチス活動家の名に再改称されたりした。権力者の思惑に応じて変更を繰り返す通り名。住所は混乱した。ドイツ語には、「過去を克服する」という意味の単語があり、過去に対する国の生産という文脈で使われるという。その「克服すべき過去」の一つである通り名は、まだ生産の途上にある。 米フロリダ州ハリウッドに住むアフリカ系アメリカ人男性は怒っていた。怒りの対象は、フォレスト将軍(黒人奴隷を売買し、南北戦争で黒人部隊を虐殺した)にちなんだ「フォレスト通り」をはじめとする、南部連合にまつわる通り名だ。彼らはそれらを改称すべきだと市議会に抗議したが、改称不要論者は彼の怒りが理解できない。通り名は「歴史的教訓を眼に見える形で記した中立的な事案でしかない」と考えていたからだ。両者は通りを共有しているが、視点は共有していない。住所が人種間の壁を高くした一例だ。 その地の特色を表していただけの通り名が、時代とともに下品な意味に解釈されるようになった……という楽しい物語や、実際とは異なる高級そうな住所を売買して不動産価値をあげ、住民の虚栄心をあおる物語もある。住所は笑いにもステータスにもなりえるのだ。 人類がいかにして住所を定めるようになったのか。その住所がいかに住民のアイデンティティーとなり、人種問題を浮き彫りにし、階層意識を植えつけるほどになったのか。編集者や弁護士、学者などの経歴を持つ米国出身ロンドン在住の著者、ディアドラ・マスクが独特の視点で住所を物語った労作である。 (かみたに・しおり)
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Last updated
December 27, 2021 06:35:48 AM
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