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カテゴリ:文化
「古代エジプト展 天地創造の神話」に寄せて 早稲田大学文学学術院教授 近藤 二郎
勝利して昇る太陽と 植物の芽吹く力に 再生への願いを込める
古代エジプト人は、死後に再生して来世で永遠の生命を得ると考えていました。この再生感をよく表している二つの信仰が、太陽信仰とオシリス信仰でした。 乾燥して雨のほとんど降らないエジプトは、日々の太陽の運行を眺めることができました。太陽は、毎朝、東の地平線に出現すると、天空城を巨大なスカラベ(フンコロガシ)によって移動して夕方には、西の地平線に没していきます。しかし、翌朝になると同じ太陽が東の空に必ず再生するのです。そのため、古代エジプト人は、地面の下に図上の天空(上天)と対照的な天空(下天)が存在していて、夜の間に太陽は、太陽の船に乗ってこの下天を西から東へ移動していくと考えられていました。下天は冥界でもあり、そこは太陽神ラーの高校を邪魔する大蛇アポピスの支配する世界でした。そして太陽神は、毎晩、多くの神々の助けを借りて、アポピスを打ち破り、東の地平線で再生・復活をしたのでした。そうしたことから、太陽の日の出の光は、犀星を最も象徴するものとみなされ、埋葬された死者の顔面に日の出の日葵が当たるように、棺の中に御遺体が納められました。 中王国時代(紀元前2025~1794年頃まで)の箱型棺では、ミイラにされた遺体は、頭を北に向け、左体制を下にして棺に入れられました。その後、人の身体の形をした人型棺が作られるようになると、遺体は顔を上に向けて棺に納められるため、死者は自分の足元から昇る朝日を見る位置に埋葬されます。すなわち、頭を西に向け、足が東になります。棺の形態の変化によって埋葬頭位にも違いが見られますが、東から再生する太陽の光を使者の再生の力としたのでした。 太陽信仰とともに古代エジプトの再生の考え方を示すものとして、オシリス信仰があります。オシリス信仰とは、古王国時代(紀元前2682~前2145年頃)末期の中央集権体制禍の中で登場します。「人はだれでも死ぬとオシリス神となり、再生・復活して永遠の生命を得る」というものでした。古代エジプトでは、古王国時代までは王族など一部の者だけに制限されていた再生・復活の権利が、一挙に民衆に与えられることになり、オシリス信仰は、またたく間に人々の心をつかみ急速に普及していき、太陽信仰と並ぶ古代エジプトの再生信仰の根幹をなすものとなりました。オシリスは、かつての善政を施していた王でしたが、弟のセトがそれを妬み、オシリスを殺してしまいます。その後、その後、セトはオシリスの遺体を14に切断して国中にバラまいてしまいます。妹で妻のイシスは、ほとんどの部分を回収し、包帯を巻いてミイラとし、呪力を使いオシリスを復活させました。イシスは、復活したオシリスとの間にホルスを身ごもります。オシリスは冥界の王となりますが、その後、成長したホルスは、父の仇であるセトと戦い、これを打ち負かしたとされています。 古代エジプト人は、オシリス神を植物神として崇め、植物の芽吹きの力を再生力と考えました。人々はオシリス神と同じように遺体をミイラにし、また棺の顔の部分をオシリスの芽吹きの色である緑色に塗ることで再生を祈ったのでした。 (こんどう・じろう)
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Last updated
January 21, 2022 05:06:08 AM
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