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カテゴリ:書評
市井の家族の情愛を切々と描く 作家 村上 政彦 松本清張「骨壺の風景」 本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の日本地図。そして今日は、松本清張の『骨壺の風景』です。 松本清張と言えば、社会はミステリーで一世を風靡した作家です。少なくない作品が映像化されて、今もたくさんのファンがいます。 エンターテインメント小説の大家なのですが、じつは芥川賞を受けて文壇にデビューしました。本作も、ミステリーと思って手に取った人は期待外れになるでしょうが、この作品の本質的な貌を見られます。なおかつ、しみじみとした感動を味わうこともできます。 語り手の「私」は、昭和の初めに亡くなった祖母・カネの骨壺が、両親の墓のある東京の多磨霊園ではなく、むかし暮らしていた九州は小倉の寺院で、一時預かりにしてもらい、そのままになっていることが気になりだした。 一時預かりになったのは、一家が貧しくて墓が立てられなかったからです。「私」の父・峯太郎は、さまざまな職業を転々として、どれも成功せずに絶えず借金取りに責められていた。峯太郎は幼い時、カネ夫婦のもとへ里子に出され、実家は戻してくれるように求めたが、夫婦は応じなかったといいます。峯太郎は17,18歳のころ養家を飛び出し、「私」の母・タニと一緒になった。そして、十数年ぶりに、また子連れで養家に戻った。 なぜ、カネ夫婦が峯太郎を実家に返さなかったか、また、なぜ養家を出奔した峯太郎が戻ったのか、それは分かりません。 骨壺を預けた寺の名も思い出せない「私」は、苦心してそれが戦後の道路拡張で地所を清水へ移った大満寺らしいことを調べ上げます。果たして、過去帳にカネの名があった。しかし骨壺はすでに処分され、遺骨は他の一時預かりの骨と一緒に境内の石塔の下に埋納済み。来年が五十回忌だという。「私」は、せめて位牌を骨壺のかわりに両親の墓へ埋めたいと考え、小倉へ向かった。位牌を手にした後、タクシーで思い出の地を巡る。 父は屋台を出していた。「十四連隊の正門」近くの松の木の木陰で、餅やラムネなどを売っていたのだ。 「私が動くたびに鞄の中でこそこそと音がする。だが、私はその位牌を、重い骨壺に考えたかった。鼠色をした素焼の壺、蓋と胴とを針金で十文字に縛って押し入れにごろごろしていた骨壺に。——ばばやん、見んさいよ、あそこの松の木の下におとっつぁんが店を居ったんどな」 祖母は「私」を愛し、「私」も祖母を愛した。栄養失調で失明した後、息を引き取る時、閉じた目から流した一粒の涙は、「ガラス玉のように澄みきっていた」。 この作品は、市井の家族の情愛を描いています。他の清張作品ではできない読書体験ができるのではないでしょうか。 【参考文献】 『宮部みゆき責任編集 松本清張 傑作短編コレクション 下』 文春文庫
【ぶら~り文学の旅㉟】聖教新聞2021.7.28 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 12, 2022 06:19:34 AM
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