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カテゴリ:池田先生の指導
法華経の智慧
信心即生活、信心即努力という「正道(せいどう)」を、徹底的に進むのが「中道」です。観念的な"気休めの信仰"でもなければ、安易な"手品の信仰"でもない。祈りが叶うまで「祈り続ける」「努力し続ける」。その結果、最後は所願満足になっていく──その戦いですね。 (観世音菩薩普門品)
自分にとって苦い意見である「マイナス情報」を喜んで聞けるかどうかが、指導者か独裁者かの分かれ目ではないだろうか。独裁者というのは、威張っているが、実は気が小さい場合が多い。だから人の意見が聞けない。 (観世音菩薩普門品)
色んなことがあるから、人生は充実するし、楽しい。──なんでも祈って、すぐに叶ったのでは「手品」だ。「道理」に反する。仏法は道理であり、信心即生活の正しい「軌道」を教えている。「現実」を無視した信仰はない。現実のうえで努力もしないで、安易に願いが叶うわけがない。 (観世音菩薩普門品)
「祈りとして叶わざるなし」、そう決めることだ。ある時点だけ見れば、祈りが叶わない場合もある。それでもいのり「続ければ」最後には必ず一番いい方向に行く。後から振り返ってみると、それが分かるものだ。何より、そうやって苦労することで自分が強くなる。 (観世音菩薩普門品)
一心に「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く」(御書1132)祈るのだ。甘えた、観念的な祈りでは、御本尊への本当の感応はない。全生命をもって、ぶつかって、打開できないわけがない。 (観世音菩薩普門品)
人生は、無数の塵のように、きりのない苦労の連続だ。その苦労が、南無妙法蓮華経と唱える時に、全部「八万四千の法門」となる。苦労した分だけ、全部、教訓となり、智慧となり、指導力と変わるのですつらいことがあっても、負けないで、題目を唱えながら前へ前へ進むのです。 (妙音菩薩品)
平和と言っても、何もしない安逸から生まれるのではない。反対です。コマが全速力で動いているから静止して見えるように、フル回転で修行する真剣さが、悠々たる大境涯を支えているのです。 (妙音菩薩品)
ストレスや悩みをも、生命力に転じていく。それが「毒を薬に変える(変毒為薬)」妙法だ。「大いに楽しく生きよう」という境涯の実現だ。その為には、戦いです。「生死を超えて、汝の為すべきことを為せ!」です。この使命感の前には、生も死もなく、死苦さえも前進の力に変わる。 (薬王菩薩本事品)
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Last updated
April 10, 2024 05:34:37 AM
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