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April 15, 2024
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「人間とは」「生きるとは」自身を見つめて問い直す

インタビュー アメリカ実践哲学教会会長 ルー・マリノフ博士

 

 

行き詰まりの因

――新しい一年が幕を開けました。長引くコロナ禍や気候変動、ウクライナ危機をはじめ、複雑かつ多様な問題を抱える世界を、どう見つめていますか。

 

皆さんに新年のご挨拶を申し上げます。危機が複雑する中、特に多くの人々が孤独に苦しんできたことに胸を痛めています。

そして言うまでもなく、ウクライナでの戦争は悲惨な出来事であり、さまざまな緊張を引き起こしています。その最も大きな犠牲を払うのは、名もない庶民です。日本であれ、アメリカであれ、政治の安定と経済の繁栄を支える庶民が、守らなければなりません。今の状況を改善する最善の道を見いだせるよう、強く願っています。

一方、パンデミック(世界的大流行)は、大乗仏教の大切な教えを思い出させてくれました。それは、あらゆる物事が関係性の中で生じると説く「縁起」の思想です。地球上のどこか一カ所で感染が起これば、それは瞬く間に広がることを私たちは目撃しました。

パンデミック自体は望ましいことではありませんが、これは同時に、地球上のどこか一カ所で起こるポジティブな変化は、瞬く間に世界の隅々に影響を与えられることを意味しています。2023年の開幕に当たり、私たちは、希望は常に目の前にあることを、そして、決して希望を手放してはならないことを、心に期したいと思うのです。

池田SGI(創価学会インターナショナル)会長と私は20年前、対談を始めるに当たり、現代社会の行き詰まりの原因は、「哲学の不在」にあるとの危機感を共有しました。今、残念はがら、不在の度合いはさらに大きなものになっているといえます。

その結果、デジタル革命の高まりとともに、人々は物事の審議を見分けられなくなっています。大量の情報にアクセスできていることは、真実にたどりついていることを意味しません。アメリカでは、政治的なメディアの操作が分断を生み、世論を惑わし、対立を引き起こしているのです。

対談の中で、池田会長は、哲学不在の社会は「柱のない建物」のようであり、ひとたび地震や嵐に遭えば、はかなく崩れてしまうと述べられました。会長と共有した危機感を、今また強くしています。

 

 

――池田先生との対談の中でマリノフ博士は、哲学を民衆の手に取り戻すのが課題であると語られています。「取り戻す」という表現に、哲学とは本来、民衆の手の中にあったのだというメッセージを感じます。

 

その通りです。例えばソクラテスの時代に大学はなく、彼が談論の場としていたアゴラは、市民が交流する広場でした。あるいは、孔子も釈尊も、弟子との対話を重要視し、人々にとっての最善の生き方を説いてきました。哲学は、歴史においても、象牙の塔や修道院のためだけではなく、全ての人たちのものだったのです。

しかし、20世紀の科学の大発展を受け、人々は「問う」ことをやめました。科学やテクノロジーが、答えを与えてくれると考えるからです。巨額のお金がSTEM(化学、技術、工学、数学)の発展に費やされ、人文系の分野に資金を奪われています。これは由々しき事態です。果たして科学技術は、人類のすべての課題に答えをもたらすのか。私はそうは思いません。

「人間とは何か」「いかに生きるか」といった根源的な問いに答えるために、哲学が今こそ復権しなくてはならないのです。

 

 

互いが互いの「鏡」となって

「自他供の幸福」築く実践を

 

 

草の根の始まり

――そうした思いで、博士はアメリカ実践哲学教会を設立し、「哲学カウンセリング」という分野を開始されたのですね。

 

はい。しかしそれは、哲学者の側からではなく、市民の要請から始った「草の根」の活動でした。ある時、勤務していた研究所で電話が鳴りました。電話口の男性は、「哲学者と話がしたい」と言うのです。彼の話を聞く中で私は、〝哲学の助けを求めているのは、多くの人も同じではないか〟と思いました。そして、すぐにカナダ、アメリカ、ヨーロッパなどにいた哲学者たちと連絡を取り始めました。約30年まえの一本の電話が、私たちの活動の始まりとなったのです。

カウンセリングを続ける中で、多くの人たちに、ある苦しみが共通していることに気づきました。「人生の目的を見つけたい」「生きる意味を見いだしたい」というものでした。

この傾向は、残念ながら今も続いています。私たちはそれを、「意味の危機」と呼んでいます。

 

 

「内なる哲学者」

――カウンセリングの必要性は、さらに高まっていると想像します。

 

間違いありません。多くの若い研究者たちが、理論としての哲学ではなく「実践としての哲学」を、生涯のキャリアとすべく準備を進めています。ヨーロッパやアジア、中南米など、各国に実践哲学に関する器官が設立されています。

哲学に何ができるのか。その問いへの端的な答えは、「人生を見つめ直し、その目的や意味を見いだすためのスペースをつくる」ということでしょう。

一例として、私がカウンセリングを行った女性の話を紹介します。彼女は仕事で成功を収めていましたが、どこか幸せそうではありませんでした。彼女は、もしかしたら自分は医師になりたいのかもしれないと考え、休日を返上して勉強に励み、医大に入る資格を得ました。入学するかどうか決断するのに、23週間が与えられましたが、選択できずにいたのです。

彼女はジレンマ(板挟みの状態)に直面していました。今の仕事を続ければ、生活は安定するが幸せではない。しかし医大に進むには膨大な費用がかかり、この先6年か8年は、勉強と医師見習いの期間になります。加えて彼女には、結婚して家庭を持ちたいという願望もありました。

哲学者の役割は決断を下すことではなく、決断を下す手助けをすることです。私たちは、心の内を見つめるよう促します。自分の中の「内なる哲学者」が引き出された時、その人は、その人は、自分の進むべき正しい道を知るからです。

私はこう質問しました。〝あなたは、本当に医師になりたいのか、それとも、試験に通るかどうかを試すためだけに、医大を志したのですか〟と。その場で結論を出すことはありませんでしたが、その後、彼女は医大に進むことを決めたと連絡をくれました。

相手の「鏡」となって、相手が自分を見つめ直す手助けをする。それが哲学の貢献であり、仏教にも共通する点でありましょう。

誰もが心の内に無限の可能性を秘めています。しかしそれは、活性化されなければなりません。可能性を引き出すエンパワーメント(内発的な能力の開花)が大切なのです。

 

 

「特効薬」はない

――博士は、仏教を「実践する哲学」と呼んで評価されています。

 

神を信じる宗教とは異なり、仏教は救済を自身の内に求めます。それはエンパワーメントそのものです。その上で、救済されるためには実践が必要です。実践そして反復が、内なる哲学者を目覚めさせます。

私は『中道』という著書で、多くの仏教思想を紹介しています。極端な方向に引かれやすく、あらゆる場面で性急な決断、白か黒かを迫られる現代ですが、実際には、すぐには結論を出せない物事ばかりです。いかに「不確かさ」と付き合うか。中道の生き方が求められていると感じます。

カウンセリングに来る人たちは、多種多様な悩みを抱えていますが、全てに効く「特効薬」などありません。そこで私が勧めているのが、中道という「徳」なのです。

アリストテレスも、孔子も、中庸(穏健)の美徳を重要視しました。しかし、アリストテレスは集団よりも個人を優先し、それに比べて儒教には集団的な側面があります。一方、仏教はすべての行きとし生けるものの価値を主張しつつ、集団としての関係性も強調しています。仏教は、アリストテレスや儒教の長所を併せ持った、「中道の中の中道」であると思うのであります。

 

 

対等の立場から

――博士自身も、池田先生との交流を通して、「自身の実践哲学を大いに高めることができた」と述懷されています。

 

とても多くのことを学びましたので、端的に伝えるのは難しいのですが、ここでは3点申し上げます。

まず、私自身の「内なる哲学者」が引き出されたということです。池田会長から啓発を受け、私は、哲学カウンセリングとは何を指すべきで、どんな意味があるものなのか、改めて確信を強めることができました。

2点目は、対話が持つ力です。SGIの活動においても、私どもの哲学カウンセリングにおいても、対話が何より大切であることを確認できました。

そして3点目に、リーダーのあり方についてです。

世間には多くのリーダーシップのモデルがありますが、そのほとんどで、リーダーはピラミッドの頂点に座りながら、下層部の人たちを高みへ導こうとします。しかし池田会長の姿が示すのは、ピラミッドを逆さにして、自分自身がその最底辺に身を置き、全ての重みに耐えながら、人々を持ち上げようとするリーダーのあり方です。この学びによって私自身も、皆の上に立つのではなく、皆を励まし、皆を支え、皆の力となることで、実践哲学教会を発展させていこうと思えるようになりました。

誰に対しても、自分と対等な立場の人だと認められるかどうか。私の場合、カウンセリングに訪れる人を尊敬するところから始まります。まさしく、法華経に説かれる不軽菩薩の実践そのものなのです。

理解し合えない人や、自分を攻撃するような人と出会うと、私たち合相手を否定したくなります。しかしそうした場合でも、相手のベストを引き出すことができるか。その人の「内なる哲学者」を目覚めさせることができるかどうかです。

もちろんそれは、容易ではないからこそ、道徳的な力、度重なる実践を要します。自分の可能性を開花させる人は、実践に次ぐ実践を貫く人であると、私は思うのです。その過程においては、その人自身が自分を省みられるよう、「鏡」となる存在が必要です。

その意味で、だれしも、一人では実践できません。一人一人が、互いの鏡となって支え合わなければならないのです。

 

 

環境ではなく心

――互いが互いの「鏡」となって、支え合い、日々の活動に励む。学会員は、その実践に次ぐ実践で、より良い自己を築こうと挑戦しています。

 

創価学会は、偉大なコミュニティーを築いてきました。アメリカをみれば、まるで南北戦争(186165年)の時代のような分断が広がる現代社会にあって、学会の中には、調和の心が輝いています。全米各地やカナダ、イギリスなどでも会員の方々と交流する機会に恵まれましたが、どの都市でも、それは一目瞭然でした。

誰もが、自分の幸福のためだけでなく、他者の幸福のために喜んで尽くそうとしていました。実はこれは、一般的に、西洋人には理解しがたい行動です。幸福とは「個人の幸福を指すことが多いからです。

しかしSGIの皆さんは、〝人の幸福に尽くすことで自分の幸福も増す〟と捉えている。私もそれに完璧に同意します。だから私も、周囲の人々に言うのです。「仕事場や、家庭で、人の幸せのために行動してみましょう」と。それを実践した人たちが、以前よりもさらに幸福に見えたことは言うまでもありません。

物理的に満たされることが幸福であるかのように錯覚してしまう時代です。しかしそうした幸福は、周囲の環境が変われば消え去ってしまう。真の幸福は、人でもなく、環境でもなく、自分自身の中から引き出されていくものなのです。

心の内に幸福を築けば、それは何ものにも奪われません。だからこそ宗教が大切なのだと私は思います。

 

Lou Marinoff 1951年、カナダ生まれ。ダウソン大学卒業後、ロンドン大学で科学哲学の博士号を取得。ニューヨーク市立大学で哲学部学部長を務めた。古今東西の哲学を日常生活の問題に応用する。「哲学カウンセリング」の開拓者として、98年にアメリカ実践哲学教会を創設。セミナーやカウンセリング、執筆など精力的に活躍する。池田先生とは20032月に会見。そのごも語らいを重ね、対談集『哲学ルネサンスの対話』を発刊した。

 

 

 

【危機の時代を生きる 希望の哲学】聖教新聞20231.6






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Last updated  April 15, 2024 06:11:25 AM
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