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カテゴリ:書評
日本仏教の社会倫理――正法を生きる 島薗 進著
世俗への関与を捉え直す 創価大学名誉教授 中野 毅評
近現代の仏教研究は、いわゆる仏教学者によって、文献学的交渉を手がかりに仏陀の教えを解明し、主要な仏教者や宗祖の思想を研究してきた。その帰結として、原始仏教の中心思想は個人の悟りを目指すものとされ、他者や社会・国家との関係は軽視されてきた。このような原始仏教理解が、中国や日本において末法思想に強く影響された浄土教や禅の理解にもおよび、仏教からは世俗社会と積極的に関わるような理論性は出てこないとされてきた。 宗教学者である著者は、このような理解は「正法」理念や戒律、サンガの意義を見落とし、根本的に誤っていると強調する。王に守護され、厳格に戒律を守る僧侶集団サンガの形成によって、社会に正法を行き渡らせ、正法に導かれた幸せな王国・社会が具現するという、仏教思想のもう一つの面の重要性を指摘する。 この仏教社会倫理の基礎概念とも言える「正法」理念は、原始仏教から上座部仏教へ、さらに大乗仏教でも実は重視され、十善戒や慈悲に基づく統治をすべきと、金光明経や華厳経に説かれていた。日本に入った仏教が、「鎮護国家」の法として重視されたのは、この伝統が生きていたからである。 鎌倉時代にかけて、社会の混乱と共に末法思想が広がると、正法を否定する浄土系新仏教を軸にした宗派仏教が伸張した。しかし、それに対抗した正法復興運動も起こり、その中心が法華経を重視した日蓮である。その系譜は近代日本にも受け継がれ、田中地学、霊友会、立正佼成会、創価学会において展開した。また近年の大災害への伝統仏教による救済事業や社会参加にも、同様の意義があると締めくくっている。 「正法」概念や仏教史の把握などで疑問もあるが、近代主義的で個人主義的な仏教理解に挑戦し、社会や国家に関与する仏教を正面から捉え直そうとした意欲を賞賛したい。筆者個人としては、戸田城聖が戦後主張した「国立戒壇」建立の思想的意義を担当する手がかりを提供されたと考えている。 ◇ しまぞの・すすむ 1948年生まれ。東京大学名誉教授、大正大学客員教授。日本宗教学会元会長。宗教学、近代日本宗教史、死生学。近著に『戦後日本と国家神道』ほか。
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Last updated
April 19, 2024 05:18:50 AM
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