浅きを去って深きに就く

2024/10/31(木)15:53

第17回「同志がいる」という心強さ

危機の時代を生きる(77)

第17回「同志がいる」という心強さ豊生会元町総合クリニック院長  池田 慎一郎さん 周囲の友の「生老病死」の苦悩に〝わがこと〟のように寄り添う いつまでも若々しく、健康で暮らしたい。それは誰しもが願うところでしょう。私がかつて、消化器外科医として多くのがん患者さんにかかわってきましたが、その願いに向けて年々、医療も進歩していることを感じます。すい臓がんの根治手術の入院期間を例に挙げれば、30年前は3~6カ月近くかかることが多かったのが、今では2~3週間で退院することも可能になりました。しかし、病気そのものがなくなったわけではありません。日本では今でも2人に一人ががんになり、4人に1人ががんで亡くなっています。一方、この20年間で平均寿命は3歳延びました。それは喜ばしいことですが、身の回りのことを一人でできる「健康寿命」との差を見ると、20年前も現在も10年で変わっていません。この数字は、〝誰かの介助を必要としなければならない期間の長さ〟を意味します。つまり、老いの悩みは変わらずにあるということです。医療現場は、そうした「生老病死」の悩みと向き合う最前線ですが、それは突然にやってくるからこそ、一人一人が真っすぐに見つめ、体力的にも精神的にも、また経済的にも含めて準備していくことが大切だと思っています。  学会活動での経験では、どうすれば、そうした捉え方ができるのでしょうか。結論から言えば、仏法の生命哲学を学び、唱題行を実践し、学会活動を通して同志と切磋琢磨する中で培われるものだと思います。そんな私も、26年前まで入会しておらず、信仰にも無関心でした。私の心が変わったのは、看護師だった妻と結婚する1年前、妻の両親のもとへあいさつに伺った際、妻の「この信心は私の生き方です。理解してもらえず結婚できなくなっても、私の信心でみんなを必ず幸せにしてみせる」との確信の言葉に触れたからです。実は当時、妻の両親は信心に反対で、私との結婚を機に学会を辞めさせようとしていたのです。しかし彼女の決意は揺るがず、むしろ私も〝そこまで言える宗教とはどんなものか知りたい〟と思い、入会しました。とはいっても、すでに医師として多忙な生活を送っていた私は、会合にもほとんど参加できませんでした。本格的に信心と向き合ったのは、結婚後にアメリカに留学する機会を得て、その地で活動するようになってからです。アメリカで忘れられないのは、池田大作先生の『法華経の智慧』などの書籍を、メンバーと勉強会で学び合ったことです。そこには80~90代のパイオニアのメンバーも参加していました。先生の著作を明るく学び合い、前向きに生きようとする姿に触れ、宗教や老いることへのイメージが大きく変わりました。また法華経寿量品について学ぶ中、「永遠の生命」や「死後」について語り合っていることも心に残りました。仏法では、私たちの生命は今世だけでなく、過去世・現在世・未来世と、三世にわたるものと説いており、生命は永遠に死を繰り返していると捉えています。その勉強会は、私にとって衝撃的でした。病気と闘う患者さんと接する中で、私自身は生老病死を身近なものと捉えてきましたが、それは病院内での出来事で、多くの人にとっては普段から意識するものではなく、〝自分とは関係のないもの〟と思い込んでいる人もいるのではないかという感覚があったからです。〝いつまでも生きていけると死から目を背けるよりも、〝この人生はいつか終わる〟という有限性に目を向けられる人の方が、今を大切にできます。さらに〝死んだら終わり〟ではなく、〝次の人生の始まり〟と捉え方が、人生の最終章まで「生」を輝かせていくことができます。池田先生も『法華経の智慧』の中で、「『生と死を学ぶ』という意味で、創価学会の教学運動は、時代を先取りしてきた」と語られていますが、まさに仏法には説得力があり、学会の中で鍛えていくことは、自らが悔いなき人生を送る力となり、医師としての力にもなると確信しました。 仏法が目を向けるのは——「病」だけでなく「人間の幸福」  現代医学との違い私は、現代医学と仏法とでは、見ている根底の部分に違いがあると感じています。それは、患者さんをどう見るかにも表れています。例えば、現代医学は病気の原因を臓器ごとに究明し、臓器別に診療する中で発展してきました。それによって高度な治療が可能になり、さまざまな病気を治せるようになってきました。それは良いことですが、臓器は健康になっても心身のバランスが崩れ、逆に不健康になってしまうというケースも出てきています。そうしたことを踏まえ、今では全身をトータルで診る「総合診療」を掲げる病院も出てきましたが、全体から見ればまだ少ないのが現実です。また医学部では、死について当然のように学ぶだろうと思われるかもしれませんが、実は私が医学生だった時、死について学ぶ機会はありませんでした。それは、医療はあくまで病気を治すためにあるとの認識があったからかもしれません。もちろん、今では死について考え、患者さんの心に寄り添う体制が整ってきましたが、これまでの流れの根底には「人間」ではなく、「病」だけに目を向けてきたことがあると思えてなりません。一方、仏法はどこに注目してきたのでしょうか。古代インド医学では、患者を身体という物質的側面だけでなく、心も含めた「生命」という視点で捉え、一人一人がいかに幸福な生活を送っていけるかに心を砕いてきました。そして、仏典には、こうしたインド医学の真髄が取り入れられました。つまり、仏法では「病」だけでなく、「人間」や「人間の幸福」にも目を向けてきたのです。私は現在、外来受診、訪問診療を通し、病気だけではなく、患者さんの全体像を診ることを意識しながら診療に当たっています。その中で、ご高齢の患者さんと向き合うことも多いのですが、超高齢社会を迎えた今、こうした視点は重要だと思っています。年を重ねれば、身体機能が衰え、病気にもなります。それが治るものならば、治療することが大切ですが、衰えた体力では治療による身体へのダメージも大きい。そこで大事になるのが、目の前の患者さんが、どうすれば一日でも長く、自分らしい人生を歩んでいけるかを考えることだと思うのです。  心理状態と生存率仏法では、「人間の幸福」に目を向けているからでしょう。患者の気持ちが前を向けるよう、周囲の関りも重視しています。例えば、仏典には〝医学の知識のみで治療するのではなく、慈悲の心が大事である〟(金光明経)と意思の心構えが記されていますし、看病に当たる人には〝患者に慈悲で接することはもちろん、病人が歓喜するようにすること〟(四分律)といった心得も教えています。池田先生も「もちろん、医者としての技術は重要である。しかし、それだけではなく、医者の『振る舞い』や『心』が患者にとって大切な場合がある」「大切なのは、病気の人が少しでも元気になるように、激励していくことだ」と教えてくださっています。それらを踏まえて、イギリスの心理療法家グリアー氏が行った調査を見ると、興味深いことが分かります。この調査とは、手術から3か月後の乳がん患者の心理状態を、次の四つのグループに分類し、その後の生存率を調べたものです。そのグループとは——A=がんに負けないとの闘争心を持ち、前向きに対応した人たちB=がんであるのを忘れたかのように過ごした人たちC=がんを冷静に受け止めて粛々と治療に励んだ人たちD=もうダメだと絶望的になり、死への恐怖を持った人たち——です。結果、生存率が高かったのはAの人で、B、Cと続き、Dの人が最も低いことが分かりました。また、それは死と向き合う場合も変わりません。私自身、多くの方々の臨終の場に立ち合わせていただきますが、患者さんとそのご家族、また医療従事者といった、そばにいる人々との関係性が良好な場合は、旅立つ側も安らかで、見送る側も感謝をしてお別れできると感じています。  決して一人にはさせない!同苦の精神は闘病の力に  確信の祈りと激励日蓮大聖人は御入滅の7カ月前、闘病中であった門下・南条時光を救わんと、烈々たる気迫のお手紙を認められました。その中で、時光を苦しめる病魔を厳しく叱責されています。「鬼神どもよ、この人(時光)を悩ますとは、剣を逆さまになるのか、自ら大火を抱くのか、三世十方の仏の大怨敵となるのか(中略)この人の病をすぐに治して、反対に、この人の守りとなって、餓鬼道の苦しみから免れるべきではないのか」(新1931・全1587、通解)大聖人御自身も病と闘われているさなかでしたが、病身を押して筆を執られ、全精魂を注いで時光を励まされました。そして、時光は大聖人の師子吼に触れ、50年も更賜寿命することができたのです。生老病死に苦しむ友を、決して一人にはさせない!私たちの祈りで、必ず友を病魔から守ってみせる!こうした同苦の心は、学会にも脈打っています。実は、私の家族も、数々の緊迫した病気の悩みと向き合ってきました。そのたびに、多くの同志の方々から「必ず治るよ」との確信の励ましや、「題目を送っています」との温かな声をかけていただきました。まるで〝わがこと〟のように寄り添い、声に耳を傾け、一緒に病に立ち向かってくれる。こんなに心強い方々はいません。◆◇◆今年で結婚して25年。思えば、私の学会員としての人生は、妻の「私の信心でみんなを必ず幸せにしてみせる」との言葉から始まりました。当時、信心に反対していた妻の実家に御本尊を御安置することができ、今は一家和楽と健康・長寿に向けて祈れるようになりました。その中で、妻の言葉通りの人生へと進んでいる確信を深めています。人生の師匠・池田先生と、生老病死に立ち向かう素晴らしい同志に出会えた感謝と誇りを胸に、これからも学会活動と仕事に全力で臨み、北海道ドクター部のメンバーと共に「生命の世紀」を開いてまいります。 いけだ・しんいちろう 1969年生まれ。札幌医科大学医学部卒。同大学大学院修了。医学博士。南カルフォルニア大学病理学教室リサーチフェロー、札幌市内の病院勤務を経て、2020年に現職。日本外科学会認定医・専門医・指導医。日本医師会認定産業医。創価学会北海道ドクター部長。支部長。   【危機の時代を生きる希望の哲学■創価学会ドクター部編■】

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