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★ 聖書はどういう人たち宛て、に書かれたのか ★
おはようございます♪^-^
梅雨に入り 紫陽花のお花がいっそう綺麗になっていますが
皆さんお元気でしょうか?
大雨注意報が出されている地方の皆さん
どうぞお気をつけてくださいね!
私は最近雨上がりの紫陽花やバラの撮影に夢中になっていますが
聖書や祈りのことが怠っていてます。
ネジを巻かないとと思い、本田哲郎神父様の講演会でもらった
プリントを開いてこの箇所を自分の為、そして読んでくださる皆さんと
分かち合いできたらと思い紹介します。
聖書の第一の読み手、聞き手は
社会の小さくされた人たちからからなる共同体(教会)でした。
例えばコリントの教会の構成メンバーについて
パウロはこう書いています。
「仲間の皆さん、呼びかけに答えた自分のことを
考えてみてください。
あなたたちの多くは、世間でいうところの知恵者でもなく
有力者でもなく、家柄の良い者でもありません。
神は、愚かな者を選んで知恵者を恥じ入らせ
世のひ弱なものを選んで腕力のある者を恥じ入らせました。
又、神は、世の身分卑しい者や軽んじられている者
つまり無に等しいとされている者を選んで
地位ある者に面目を失わせたのです」(コリント1・26~28)
コリントの教会が特別だったわけではなさそうです。
ヤコブの手紙が送られた先の教会も同様に
貧しく小さくされた人たちの共同体でした。
「私が大切にしている仲間たち、よく聞いてください。
神は貧しい人たちを、信頼して歩むことに富む人たち
神を大切にする者に約束された国を受け継ぐ人たちとして
お選びになったのではありませんか」(ヤコブ 2~5)
要するに、聖書は、貧しく小さくされた人たちの
感性に響くようにかかれているものだということです。
(痛みを知る 「小さくされた仲間たち」の視座で聖書を読もう」より)
† 今日も 皆さんの上に神様の平安がありますように
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最終更新日
2008.06.23 10:34:03
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