3月9日
松本へ向かう高速をおまわりさんに言ったら殴り殺されるようなスピードでかっとんでいく。基本的には上り坂になるので、ODにはなりずらく、レブリミッターが効いてしまう速度までしか上げられない。ってか、その速度までしかスピードメータは目盛りがふられていないけど。やがて西の空に太陽が沈む。サングラスを助手席にポイ、と投げ捨てる。いくつかの長いトンネルを抜けたのち、大きく左にコーナーをまわって高速道は松本平へと出る。右手にはまだ雪で白く険しい山々が、それでも春の夕暮れの朱色に包まれ染まっていた。3月も、もう中旬に差し掛かっているのだ。少しスピードを落として松本インターを目指す。営業所の通用口から2階の事務所に上がった。結構しっかりした鉄のドアを開けて「まいど~」と入っていく。先日タロット占いをやった同僚、一緒に職場委員をやっている後輩、昔一緒に職場委員をやった後輩、ショールームであかりのお姉さんをやっている人...それぞれに「どーもー!」といちいち愛想を振りまきながら自分と同じ分野の仕事をしている部署にたどりつく。ここの営業所はいつもみんな笑顔で迎えてくれる。その営業所に、ちょっと今、強い嵐が吹こうとしている。空いてる席に座り、一息ついているとなぜかわらわらと仕事が舞い込んでくる。今すぐ店舗の照明を設計しろとか、事務所の照度計算をしろとか。あのー、こういうことしにきたんじゃないのだけどー。「えー、だってこれってショールームの依頼でさあー」人妻Tがそのショールームのおねえさんの方も向いて言う。「あ、私にお任せください!」このおねえさん、色白の美人。「ちょっと、なにその態度の違いは!」人妻Tがちょっとまじにむっとしてる。まあまあ...そんなことをやってると松本の職場委員をやってるY氏が営業から帰ってくる。ちょっと、話そう。ちょうど煙草を切らしているので、と車で外へ出る。歯に衣着せぬタイプのY氏は、それでも的確に今の状況を話してくれた。会社側からの「命令」。それに対しての現地従業員の動揺。他部署の反応。コンビニ経由で営業所のある市場団地の中を車でうろうろする。会社の決定だから、基本的には仕方ないよな。営業所で話するより、軽く飲み行ったほうがいいんじゃねえの、と言われて、そうだよねー、とも答えたが泊まれって事かなあ。Y氏はお客さんと飲みに行く予定があり、そのまま帰る。自分は戻って先ほど依頼された仕事を片付ける。判りきってる「不明点」をわざわざショールームのお姉さんに聞きに行ったりする。ほい、設計終わり。あとはよろしく。業務の一人が「帰るけど...」と声を掛けてくれる。この人も先日3時まで一緒に飲んだ人だ。以前も会社の方針に翻弄された感がある。食堂でコーヒーを飲みながら今回の件についてどう受け止めているか、ぽつぽつと話す。10年来の友達と、こういうことで話さなければいけないのは、正直つらい。小一時間ほど話していると職場委員もやっている同じ部署で、恐らく一番つらい立場に置かれているMさんが「やっと仕事終わった...」と顔を出す。お疲れ。まあ、コーヒーでも飲んで。時計は9時半を回っている。他の部署の人たちも入れ替わり立ち替わり、の中でいろいろ話しをする。自分としても、実際にできる事といえばこうして話を聞いてあげることと、自分が知る限りの情報を伝えることでしかない。確かに会社の決定したことの背景を考えれば、ああ、仕方のないことかなあ、とも思う部分もあるが、他部署との連携、現在の従業員に対する待遇、お客さんへの配慮...には疑問が残ることばかりだ。それについて明確な答えを、自分が持っているわけではないが、ここはこういうふうに考えるしかないんじゃない、とか会社のこの判断はちょっとおかしいよね、とかを話す。Mさんも困ったようにため息をつく。彼女の判断は、実は他の人へも影響を与える。それが彼女が思い悩む一因にもなっている。「結局は自分自身が、どうしたいか、だからね」自分でもあまり言いたくない言葉を放つ。我ながら冷たいことを言うな、と思う。それができれば、彼女はこんなに悩みはしないのだ。隣の部署の課長が、会社側の判断の矛盾点や見落としている点などをばっさりと切り捨てるように言う。この課長はかつて職場委員をやっていたこともあるし、ときどき鋭いことを言う。なるほどねー、それ、課長の口から言って下さいよ、というと、「それを言うのが今のお前の仕事だろ」ま、そりゃそうなんだけど。「まあ、オレだったら言っちゃうけどね」そうですか...そうですよね...時計はとっくに11時をまわる。いい加減「箱入り娘」らしいMさんを帰らせなくちゃいけないし、まあ、だいたい、お話できたかなあ。そろそろ、帰るね。また、なんかあれば連絡するね。おそくまでごめん、ありがとう。車のエンジンをかける。FMラジオから『3月9日』、というレミオロメンの曲が流れてきた。曲自体はなんどもPVを見ているから知っている。そうか、今日が3月9日なんだ。ちょっと疲れた心に沁みるような歌詞と歌声。すこし、泣きそうになりながら夜の道をICまで向かう。瞳を閉じれば あなたがまぶたの裏にいることでどれほど強くなれたでしょうあなたにとって私もそうでありたいインターチェンジでチケットを取った時間は11:36。目標、3月9日の領収書を長野ICでもらうこと。今度は基本的には下りなのでODを上手に使うとスピードメーターの目盛りのないところまで針を動かすことができる。大型トラックばかりで空いた高速を一気に下っていく。これくらいのスピードだと、空力が大切なことを実感する。姨捨をすぎると本当に星屑のような夜景が右手に広がる。外の気温は既に氷点下。風切り音とエンジン音だけを聞きながら坂を下っていく。このくらいのスピードになるといかにODを保ちオーバーレブさせないか、という運転になるのでタコメーターしか見ていない。スピード?見ててもあまり意味ないし。長野インターへのランプへ飛び込んでいく。ブレーキで減速。このときばかりはスピードメーターを見てないと危ない。車の時計は0:00になっていた。あーあ、と思いながら領収をもらう。お、まだ、3月9日の日付。千曲川を渡る橋の上をゆっくりと走っていく。そういえばつけていたFMラジオから、零時の時報が聞こえた。このままアパートへ帰ろう...