高遠石工の石造物
原村から移動して、伊那市高遠地区へ。伊那市は、旧伊那市、高遠町、長谷村が10年前に合併して誕生。高遠町は高遠城址公園の1500本のタカトウコヒガンザクラが名高く、花見のシーズンには30万人ほどが訪れる人気の観光スポット。高遠は歴史の町としても知られ、武田信玄の5男の仁科盛信が織田信勝に攻められて奮戦の後の自刃し、 高遠城が落城した。江戸時代に入り、高遠藩主の保科正之は家康の孫であった事から、信濃高遠藩主、出羽山形藩主を経て、陸奥会津藩初代藩主と成った。高遠、最上、会津と石高出世を遂げた歴史あり。高遠では、中心市街地の城下通りを散策した後、保科氏の菩提寺の建福寺を訪ねた。高遠は石工の伝統技術が継承されており、高遠石工のルーツである守屋 貞治作の地蔵座像他ほか建福寺内外の石造物を見て廻った。次いで、高遠城址公園に上がり、藩校の進徳館を見た後、城址公園内を散策、桜の緑が濃い現在は人もまばら。桜のシーズンの2週間のピーク負荷依存から脱却した、秋の紅葉や歴史ツアーなど通年ツーリズム展開が課題。高遠城址公園から、高遠パノラマローズガーデンに向かう。町内のバラ好きボランティアのバラ愛好会員55名で、運営されているローズガーデン。ローズガーデンから高遠町の石工によって作られた各集落の入口に設置されている石造物(庚申塔)を見て廻った。一か所に数多くの石造が集められているのは珍しい。今日の最後の行程は高遠の中心街を見下ろす高台へ、左側には南アルプスの仙丈岳、右側には中央アルプスの駒ヶ岳、正面には高遠城址を望む絶好の展望ポイントではあるが、今日は雨模様で、展望が利かず。道路沿いには先人が苦労して作り上げた水路,一番井筋が。今晩の宿の高遠さくらホテルに移動して、高遠地区のまちづくりに関わる民間キーマンや伊那市の高遠支所長、地域協議会長のメンバーに加わえて、伊那市長、副市長も参加されての意見交換会を実施した。蕎麦好きの高遠藩主の保科正之が客人をもてなす最高の料理。辛味大根をおろした辛い汁に焼き味噌を溶いて食べる「辛つゆそば」が高遠蕎麦のルーツ。この辛つゆそばが、正之と共に最上藩、会津藩に伝えられ、会津では「高遠蕎麦」の名で、現在も受け継がれている。高遠蕎麦の復活に情熱を傾けるメンバーから、高遠蕎麦の歴史を聴いた後、辛つゆそばを振る舞って頂いた。