ラッコの映画生活

2009/03/06(金)00:33

『ブロークン・イングリッシュ』ゾエ・カサヴェテス監督(2007米仏日)その3

BROKEN ENGLISH Zoe Cassavetes 98min(1:1.85) (桜坂劇場 ホールCにて) (つづき) この映画の主人公ノラは人間関係のあり方、様々な種類の愛のあり方に悩むけれど、これは監督ゾエ・カサヴェテスの自伝的反映らしい。そして彼女はボクの思い違いでなければ、確かフランス人のパートナーとパリ暮らしをしたか、しているのではなかったかと思います。 映画の中でノラは「アメリカ人の親はフランス人の親ほど子供を愛してくれない」と言うけれど、それをも含めて、キャリアとかステータスとか、そして結婚というようなことに、つまり外面的な形の達成にアメリカ人は重きを置く。しかしそうではなく、現在の、もっと中味の実質を重視したフランス人の生き方に触発されて、ゾエ自身解放されたのではないだろうか。その過程をノラに託したのがこの映画の物語なのだと思う。 ジュリアンがパリに去ってしまって、ノラの心にはポッカリと穴が開いてしまった。それは今までにもあったであろう失恋のようなものとはたぶん違った。ジュリアンとの関係は、それまでのアメリカ人男性とは関係性のあり方が違った。仕事も手につかず、辞めてしまう。そんなノラのためにオードリーはパリにちょっとした荷物を運ぶ仕事を見つけてきてくれ、二人はパリへ。オードリーは届け先の男性に誘われたりして、マークとの結婚生活で本当に幸せなのかちょっと心が揺らいだりする。オードリーはマークのもとに帰っていくわけで、ここに大きなドラマは描かれないが、ノラあるいは監督の視点で、オードリーの結婚生活のアメリカ的幸せに対する疑問が呈されているのかも知れない。 一方ノラの届け先は老婦人だったけれど、彼女との会話でアメリカ人とは違うフランス人的人生観を(たぶん)聞かされる。この後も男に美術館で声をかけられてカフェで男の友人3名と語り合ったり、独りバーカウンターで飲んでいるときにある紳士に声をかけられやはり語り合う。 これらフランス人がみな不自由なく英語を話す不自然には目を瞑るとして、残念なのはこれらの場面での会話の内容が詳しく描かれない点だ。そういう会話内容に濃さがあって、それによって主人公の気持ちや心理の変化を表現するヨーロッパ映画を見馴れている自分にとっては、そこがこの映画のパリ部分に対する不満だ。 (つづく) -

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