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師匠という言葉自体が、日常では使われなくなりましたね。古いつもりはないけれど、歳は隠せません。ふふふ。わたしは師匠を見つけるのが大好き。物事を教わる早道だと思っています。手伝いに来てくれている中島さんというおじいさんは、お百姓道の先生として、すごく尊敬しています。この春はトマトの芽かきしたものをさし根することを教わって、実践しました。これには、興奮しましたよ。いくらでも、簡単に苗が出来る♪ 種まきした後は、脱穀した稲を切ったものを被せているのですが、その姿がきれいで、うっとりしてしまいます。かないっこないので、いつも、野菜はお願いするのです。先日は、乾いた稲がないので断られました。「雑草の干したものでいいんじゃないの?」と言ったら、「種や根がつく」と、叱られました。なるほどね。お勉強になります。 師匠はいたるところにいるのですが、不思議なことにいいタイミングでしか現れません。ご神仏のはからいの粋なことに、驚かされることが多いです。もっとも、先方は弟子にした覚えはないこともあるし、人格的には疑問がある師匠もいます。でも、師匠と決めた人は大好きだから、それでいい。10人ぐらいはすぐに、名前を挙げられます。 前置きが長かったけれど、今回、お世話になったガーデニングの講習で出合ったポール先生も、師匠と認定することにしました。まず、知識が偏ってなく、厚みがあること。そして、目指している方向が同じこと。彼の感性が大好きなこと。等など。ネットだけの情報を頼りに、経費と時間をかけて参加するのは、如何なのものかと思いましたが、アタリでしたよ。
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