カテゴリ:奈良のお寺
あらためて、
興福寺菩提院大御堂通称十三鐘・伝説三作石子詰之旧跡 を紹介します。 漢字ばっかりたくさん並んでいるので、もう読む気がしなくなった なんておしゃらないでくださいな・・・ 南側にも入り口が2ヶ所ありますが、締まっています。 北側の三条通に面した入り口も門が閉じられているので、 いままで、非公開なんだとばかり思っていたのですが、 閂も無いのでは入らせてもらいました。 境内に続く坂を下りていくと、 男女4人の大学生くらいの子がいて、キャッキャッと楽しげに・・・帰り際に悪ふざけを一つ・・・ なんと鐘をゴ~ンと・・・・・逃げてった~ 私が疑われるでないの~・・・ヒヤヒヤ・・・誰も出てこない・・・(^▽^)ホッ 境内から入り口を撮ったのですが、 消火栓がちょっと邪魔やな~・・・ (何故か、空の色がきれいなコバルトブルーになって写ってました。)☆~( ^o^)o_彡☆ 昨日の案内板の写真にも書いてありますが、 一日に2時間おきに十二回と朝の七つと六つ時の間 (今の5時)に一回の合せて十三回鐘が撞かれる事から 通称十三鐘さんと言われている別院です。 (室町後期に再建されたようですが、落ち着いたいい雰囲気をかもし出しています) ちなみに、知っているとは思いますが、『院』って、お坊様達が勉強する所です。 大御堂としては最も古いと言われています。 大御堂ってなんですかと言う質問はなさらないようにお願いします。 まだ知らべてない・・・ので 本堂にぶら下がっている行燈?(正式には何と言うのでしょう・・・) は、丸型のは珍しいのではないでしょうか。 (たいていは、無いか六角形が多いと思うのですが・・・) 本堂前に石灯篭が二つあるのも奈良のお寺には少ないと思います。 何だか勉強不足をさらけ出してるような文章になってしまった・・・ いかんいかん・・・(*-゛-)ウーン・・ やれやれ、また長くなってしまいました。。。 やっと三作の話に来ましたゾイ。。。 近松門左衛門さんが、 浄瑠璃でどのように作しているのか全く知らないのですが、 春日大社辺りに生息している鹿さんたちは 神鹿として非常に大切にされていて、 もし誤って殺したりしたら、 死刑あるいは重罪とされた時代が長くありました。 この伝説となっている小坊主の三作は習字の練習をしている時に、 庭に紛れ込んできた鹿に紙を食べられてしまって。 追い払おうと投げた文鎮がその鹿に当たってしまい、 運悪くその鹿さんは死んでしまったそうです。 んでもって、 その当時は鹿を殺したものは井戸を掘って鹿と一緒にその中に 石詰(生き埋め)にされる決まりであり、 まだ子供である三作も刑に処せられたということです。 (十三歳と書いてありましたので、数え年だとすると今の小学校5,6年生ぐらいでしょうか・・・) この石の亀の塔は、石子塚ではありません。 すぐ近くにあります。 若くして死んだ三作の為に、 今度産まれてくる時は亀のように 長生きできるように供養のために作られたそうです。 母親(おみよさん)は、三作が死んでから霊を弔うために 毎日鐘を撞き、 そして、49日目に観音様が現れたと言い伝えられています。 その観音様は、 現在大御堂内に安置されている稚児観音像だそうです。 また、自分が死んだら誰も三作を弔う人はい無いと思って、 おみよさんはもみじの木を植えたと言われているそうです。 (何故もみじの木だったんでしょうか???) それで、今でも鹿ともみじの絵が全国どこでも描かれているのは、 この親子愛から発せられたものだそうです。 それにしてもこの「おみよさん」悲運ですね・・・ この話は作り話とされていたようですが、いろんな文献によって、 似たような事例がたくさんあったようです。 決められたこととはいえ、融通が利かないのはいかがなものか・・・ (時代が違うではすまないよね・・・) 大岡越前のような裁きは(実際はどうだったか知りませんが・・・) 今の時代でも中々無いですからね~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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