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木村勝則滋賀県高島市の楽天ブログ

Jan 17, 2007
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カテゴリ:風景写真

「情報テクノロジーは命を救えるか」あなたのSOS伝える新技術、携帯メールの威力、震災の教訓を今見る。

 

鳥の目(全体状況の把握)

 

飛行機、ヘリコプターなどからGPSを使い、空から解析。

 

夜間でも赤外線暗視カメラなどの活用。

 

虫の目など。

 

阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・

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阪神大震災から12年、後世に伝えるために・・・・・
「ガタガタ」「ガタガタ」
けたたましい音で目が覚める。
ベットから飛び起きて、リモコンで
テレビをつけた。
1995年1月17日早朝
祝日の連休を利用して偶然、兵庫県南部にいた。
あまりの揺れに、地震の詳しい内容を知るために
テレビをつける。
テレビには、地震情報が流れている。
大阪、岡山と地震の震度が表示されている。
神戸の表示がないが、
大阪に神戸は近いのでないものだと勝手に思い、
また、寝てしまう。
余震の揺れで、
再び起きてテレビをつける。
「あ~、阪神高速が倒れている」
と声を上げる。
神戸は学生生活を過ごした思い出の町だ。
六甲山の山から見る夜景は美しく。
日本一、素敵な街だと思っていた。
しばらくして駅に向う。
駅では電車が西明石で止まっているという表示
で動いていない。
その後、数日がたった。
余震の続く神戸近郊の親戚の家の引越しの手伝いに
車で向うことにした。
自衛隊の車が、何台も走っていたのが印象的だった。
その後、
神戸市内には何回も足を運んだ。
繁華街の三宮の駅前にはビルが倒れ、
電車の動いていないなかで、
バスが動き出していた。
バスに乗り込みに並ぶ被災者の方々の待つ姿が印象的だった。
バスの中での東灘区の風景は悲惨だった。
東灘区では沢山の家が倒れていた。
倒壊している。中にはまだ人がいるかも知れない。
悲惨な状況に心が痛い。
その家を見ているバスに乗る被災者の人の気持ちを考えると
もっと心が痛かった。
 

自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。
建物の中には人がいる。
建物は人の命を預っている。
神戸はあの日から11年たつ。
あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。
私たちはあの日を忘れてはいけない。


あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年

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あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。



http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html


http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html


http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html


http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html


http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html


http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_09_02.html


http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html





阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。

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阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。


神戸のあの震災から12年がたとうとしている。


神戸は大学で通っていた。


大学の寮をかりたこともある。


大学の同級生の友人も下宿していた。


数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。


私はあの日、兵庫県の南部にいた。


私が市民記者として記事を書く下記URL。

 

http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/


多くの人が亡くなり、


多くの人が家をなくし、家族を亡くした。


生き地獄だった。


数日後、


東京に行った。


神戸と違い、東京はいつものままだった。


変わっていないように感じた。


新宿の


コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。


呼び水になればという思いで、


財布の中の


小銭をすべて投げ入れた。


東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。


「今、神戸は大変なことになっている。」


「みんなで助けてあげてください。」


「お願いです。」



でも、勇気がなかった。


あれから12年、


私の記憶も薄れてきた。


でも忘れてはいけない。


みんなに伝えないといけない。


「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。

 

http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001

 

PS

 

1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。 

 

私が市民記者として記事を書く下記URL。

 

http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/

 

よみがえれ神戸。


 

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木村勝則http://www.katsunori.jp/







Last updated  Jan 17, 2007 10:24:54 PM


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