木村勝則滋賀県高島市の楽天ブログ
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自然と涙が頬をつたっているのに気づいた。 建物の中には人がいる。 建物は人の命を預っている。 神戸はあの日から11年たつ。 あの美しい神戸に蘇ったのだろうか。 私たちはあの日を忘れてはいけない。
あの日からどういきただろうか。阪神淡路大震災1995年1月17日午前5時46分。あの日から12年。
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_01.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_02.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_05.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_09.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_20_15.html
http://www.city.kobe.jp/cityoffice/09/010/shiryokan/earthquake/earthquake03_09_02.html
http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html
阪神淡路大震災から12年、一回しかない。あと30年はこの人生を楽しもうと思う。
神戸のあの震災から12年がたとうとしている。
神戸は大学で通っていた。
大学の寮をかりたこともある。
大学の同級生の友人も下宿していた。
数年違えば、あの日、阪急六甲の駅の近くにいたかもしれない。
私はあの日、兵庫県の南部にいた。
私が市民記者として記事を書く下記URL。
http://news.livedoor.com/article/detail/1638926/
多くの人が亡くなり、
多くの人が家をなくし、家族を亡くした。
生き地獄だった。
数日後、
東京に行った。
神戸と違い、東京はいつものままだった。
変わっていないように感じた。
新宿の
コンビニに阪神淡路大震災の募金箱があった。
呼び水になればという思いで、
財布の中の
小銭をすべて投げ入れた。
東京の新宿駅前で大声で叫びたかった。
「今、神戸は大変なことになっている。」
「みんなで助けてあげてください。」
「お願いです。」
と
でも、勇気がなかった。
あれから12年、
私の記憶も薄れてきた。
でも忘れてはいけない。
みんなに伝えないといけない。
「1・17を忘れない」朝日新聞滋賀地域版、朝、購読している新聞を見る。
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000701130001
PS
1月17日あれから12年。1年前の記事を読み返す。
よみがえれ神戸。
木村勝則http://www.katsunori.jp/
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