影をなくした男の話シャミッソー(Chamisso, Adelbert, 1781-1838.)の寓話Peter Schlemihls wundersame geschichte, Nürnberg: bei Johann Leonhard Schrag., 1827(『影をなくした男』池内紀訳、岩波書店、1985年)からの、子供向け説教です。 出典は、Peter Taylor Forsyth, “The Man Who Lost His Shadow,” Pulpit Parables for Young Hearers, pp. 19-23.です。 ************************ 自分の影をなくした男の話 そんなに昔に、でもないのですが、自分の影をなくしてしまった男の、面白いお話を読んだことがあります。 この男は、灰色のおじいさんに、金一袋で自分の影を売ってしまったのです。 この金が入った袋は、いくら中身を使っても決して減らない不思議なものでした。 ですから、影なんてとっても軽いものに思えてきて、そしてこの男は自分の影なんかいらない、と考え出し、 この重たい金の袋が欲しくなって、影を売ってしまったのでした。 この袋さえあれば、胸まで宝物に囲まれて暮らすことができる・・・。 でも、周りの人は、この男が変だと、すぐに気づき始めました。 みんな噂するのです、あのお金持ちは影なしだ・・・。 みんなは、この男のことを気味悪がり始めました。 学校帰りの子供たちはこの男のあとを付けて走り回ります。 この男とお喋りをしていても、すぐに影がないことに気がつくので、 誰でもみんな気味が悪くって離れて行ってしまう。 こうしてこの男には誰も寄り付かなくなり、一人ぼっちになってしまいました。 他の人と違う、という理由で、この男の人生は惨めなものとなってしまいました。 この人は太陽が沈むまで外出することもできなくなり、たとえ夜外に出たとしても、月が昇ってくると、どこにいても大急ぎで家に帰る始末。 もう彼は、自分自身が嫌になってしまいました。 休むこともなく終わることもなく、彼は旅に出、さ迷い歩きました。 彼は恋にも落ちましたが、まさに結婚しようとするその時に、 彼のこの悲しい状態がばれてしまって、結局その恋は実りませんでした。 彼の行くところどこでも、悲劇は立ち昇りました。 それも、ほとんどは彼自身の心の中で、立ち昇ったのでした・・・。 この哀れな男は、何とかして自分の影を取り戻そうとしました。 この男は、影を買っていった灰色のおじいさんを見つけて、 金の袋と中身を全部返すから、影を返してくれないかと頼み込みました。 でも、この灰色のおじいさんは納得しません。 かわりに、ポケットから彼の影を取り出すのです。 灰色のおじいさんは影を広げ、そして本当の持ち主の後ろでダンスさせたのでした。 それで、この男は本当に悲しくなってしまいました。 もし影を返してほしかったら、ひとつだけ方法がある、とこの灰色のおじいさんは言います。 それはつまり、この男の魂を売ること。 この年をとった悪党はこう言うのです。 「お前が死んだら、魂を持って行って良いと、約束しろ。そう約束したら、影を返してやろう。」 もしかしたら、皆さんの中には、この悪い老人が誰だか、知っている人がいるかもしれませんね。 さて、この哀れな影なし男は、この老人の要求を断りました。 それで、彼は世界中を旅して回る放浪者となりました。 人を避け、人から避けられる生活です。 彼は自分の手元にある金を呪いました。 そしてある日、うんざりした気持ちと怒りの思いを込めて、この金の袋を深い穴に投げ捨ててしまったのでした。 その後、この男は一切人と会うことをせず、大自然を研究しようとしました。 つまり、植物とか、石とか、動物について勉強しようとしたのです。 彼は7リーグ・ブーツ〔訳者注:一跨ぎで7リーグ=約33.5キロも歩ける魔法のブーツ。アーサー王伝説に登場する。〕を手に入れ、やすやすと世界中を探求して回りました。 そしてすばらしい科学的な成果を上げることができたのです。 でも、私が知る限りですが、 この男はいまだに世界中を探求し続けており、 悲しみながら知識を深く溜め込み続けていて、 それでもまだ、 人間の愛とか信頼といったものを勝ち得ることができていないということです。 もしかしたら、理科の授業ですばらしい成績を取るような男の子がここにいるかもしれませんね。 そういう男の子たちは、 こんな変なことを信じたり、馬鹿馬鹿しい話に乗ったりする程、この男は愚か者なのだろうかって、 そんな風に思うでしょう。 「自分の影を失くしたりできるものかな? どうして自分の影がなくなってもいいと、この男が考えたりするだろう? それから、もしそう考えたとしても、それがこんな結果になるなんて、おかしいよ。 どうして、みんなはこの人をこの頃流行っているみたいなショーに出演させて、 国中巡業させて大もうけしようとしないんだろう。 そうしたら、この人はきっと、とっても幸せに生きられるのに。」 おやおや!なんとよくできた、鋭い科学少年だね。 でもね、賢い、と言うにはちょっと利巧過ぎるかな。 もし君が、白人の国で自由になろうとする黒人奴隷だったら、きっと自分の容姿から影を切り離したくなると思うよ・・・鋭い植物学少年と、半端に利巧な化学少年は、おとぎ話大好きなもっと賢い子供たちに私が話している間、ちょっとお休みしていなきゃだめだ・・・。 この話に出てきた、男の人から切り離されてしまった影、お金と交換されてしまった影は、 一体全体、何を意味しているでしょうか。 それは、「困難」とか「悲しみ」とかを意味している。 そう私は考えるのです。 すべての人の心は、必ずこの「困難」を経験することになります。 もしも「愛する」ということを知っている心であれば、必ずそうです。 この男は、お金のために影を切り離してしまいました。 この影なし男は、人生の暗く悩ましい側面を取り去って、 自分を幸せにしてくれるたくさんのもののことばかりを考えたのでした。 でも、悲しみは喜びの影なのです。 だから、悲しみなしには喜びもないのです。悲しみを感じない心は、愛を感じることのできない心なのです。 覚えておいてください。神様の愛とは、神様の悲しみにぴったりと結びついたイエスの内にあるのです。 それで、このお話からわかってくることがひとつあります。 もし私たちが、ただただ困難から逃げることにばかり、心を砕いていたら、 必ず、もっと悪く、もっとどうしようもない種類の困難ばかりを積み上げることになってしまう、ということ・・・。 どんな痛みからも逃れようとしている人、ただ気持ちの良いことだけを考えている人は、 ある日必ず、ほとんどどうにもならないくらい大変な困難に見舞われてしまう、ということです。 もし君たちが、 冬に「とっても寒いよ、外なんか出られないよ。それから、どんな運動もしたくないんだ」と言っていたら、どうなるでしょう。 きっと重い病気になって、どんな運動をやっても良くならないような不安な気持ちになって、 きついお医者さんの言いつけを守らされるようになってしまいます。 それから、もし君たちが、こんなことを言っていたらどうなるでしょう。 「僕は自分の心をぴっちりと閉じておくんだ。 そうして、僕は誰も愛さないんだ。 だって、僕が愛する人がひどい目にあったり、病気になったり、死んだりしたら、 きっと僕は悲しくなってしまうから。」 もしきみたちがこんなことを言っていて、わがままに育ち、お金稼ぎ以外の何にも興味を持たなくなって、 それであらゆる人生の困難について知らないままに、人生の困難を誰とも分かち合うことをしないようになれば、 君たちは一体どうなってしまうでしょう。 そんなことになれば、君たちは間違いなく、この影なし男の不幸な運命が、自分への重たい警告だと気がつくことになるでしょう。 この影なし男は、人生の暗く悩ましい側面を取り去って、 自分を幸せにしてくれるたくさんのもののことばかりを考えたのでした。 でも、悲しみは喜びの影なのです。 だから、悲しみなしには喜びもないのです。 悲しみを感じない心は、愛を感じることのできない心なのです。 ある日、影達がひとりでに消え去っていきます。 さて皆さん、皆さんの影がなくなる場所がありますが、どこだかわかりますか? 赤道の近くです。 なぜでしょうか? 皆さんの頭の上からまっすぐに、太陽が光を照らすからです。 皆さんの影は、まさに皆さんの足の下に踏み敷かれるのです。 そんな風に、ある日、私たちは今よりずっと、神の光と臨在の近くに立って、この世の困難の影は消えてしまうことでしょう。 影はそのとき、失われるのでも盗まれるのでもありません。 そうではなくて、影は私たちの足の下に踏み敷かれることになるのです。 私たちは主の光の中で影を征服するのです。私たちは影の上に立つのです。 いつまでも変わることなく、影はもはや 私たちの歩む道に付きまとうことも、 私たちの過去を暗く翳らすことも、 そして私たちの未来を曇らせることも、永遠になくなるのです。 (おしまい) |