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信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

震災の中での、二つの説教

震災の中でのツイッターを纏めておきます。
地震とその被害、被災と安否確認と相互扶助の構築の中で、
日曜日は礼拝をしながら、
前々から依頼されていた説教について考えていました。
その過程の記録になると思います。

説教は、尚絅学院大学の卒業礼拝のものでした。
卒業礼拝は、中止になりました。
だから、「幻の説教」です。

でも、卒業生が、いつか読んでくれるかも。
卒業生でなくても、勇気と希望をここからくみ取ってもらえれば。

そう思って、説教も、一番下に公開します。
その途中に即興的にやった礼拝説教も、
録音が、中ほどにあります。

****************

被災当日

地震、しつこく揺れています。
我が家はみんな元気です

電話、電気、不通。
Twitterは使える。
なんと便利

まだ揺れる。
揺れる揺れる。
よく揺れる。
上の娘はお祈りしながらないている。
下の娘は、退屈で泣いている。
やれやれ。

水道は出ます

車の中に避難。
電気がないので、ここで暖をとりラジオを聞く。
ナビスコ・リッツを食べながら。

下の娘がウンチした。
地震でも、人は生きている。
10メートルの津波情報を聞きながらツイート

雪がすごい。
外に避難している人家の中で
電気しか暖がとれない人は
これじゃあ、大変だ。

急に空が明るくなった。
ホッとする間に、また余震。

自家用車内に避難所にした今、落ち着いてみて考える。
さて、次はどうしよう。

浜辺でなくなっ方が出たとの頃。
つい先日、修養会の会場だった場所。
他人事と思えない。

空が、嘘みたいにキレイ。
地震で避難している車の窓。

そもそも、昨日からの体調不良。
困っていたら、官舎のお仲間が声をかけて下さった。
みんなで空き部屋に集まって夜を過ごそうと決定。
我が家からも避難グッズを持ちよって。
よかったよかった。
11 Mar


被災三日目:
やっと,ケータイが復旧。
Twitterも復旧。
みんな元気です。
近くで、良く知った場所で、
数千人規模の死者が出たことを知る。
原発爆発も。
それでも僕たちは元気です。
だから,できることをしよう。

今日は日曜日。
救急車もひっきりなしに飛び回り、
公安職の人々ももちろんフル稼働。
私も今日は教会へ。
そして避難所をまわって独居老人の安否を確かめよう。

これからしばらくは、お金が無力化する。
今重要なのは、相互扶助。
「5千人の給食」の故事を、今こそ思い返そう。

教会の仲間はみな無事に避難していた。
連絡つかない一人は礼拝にきた。
これで,礼拝休むことない記録更新。
たいしたものです。

礼拝の録音は、こちら
説教個所は、マルコ6章30節以下。

近所の学生寮をお見舞い。
役に立てることは嬉しい。

帰路、家の近くの「世界心道教 泉分教会」をお見舞い。
こちらも頑張っている。
励ましあって過ごす日曜日。
13 Mar


被災四日目:
避難所からノロウイルス発生。
避難所を解散。
相互扶助はヴァージョン2.0へ。
14 Mar


被災五日目:
我が家の周りだけ、電気も復旧しない。
その周囲は昨日から復旧しているので、
みんなの期待が高まっている。
それだけに待たされると辛いところ。

相互扶助ver.2.0の構築に励む。
富沢教会が支援してくださる。
ありがたい。

電気がつながった。
非公式情報ではあと5日くらいダメだと聞いていた。
とても嬉しい。
あと5日、みんなが希望を失わないで過ごすための手立てを講じていた。
それは無駄にならない。
通電を喜ぶ挨拶で、相互扶助ver.2.0の準備が大きく進展。
we are theworld を聞きながらツイート。

多くの世帯が、ファンヒーターを使っていた。
電気がないと氷点下になる夜に暖が取れない。
それで、ストーブを空き部屋に集めて皆で暖を取っていた。
そうしたらノロウイルス。
また皆が疑心暗鬼になった。
だから今日はストーブをあちこちから集めた。
それをシェアしたところで通電。

結局、分け合うと、モノは豊かになる。
独り占めすると、貧しくなる。
だから、買い占めをしてはいけない。
あなたが貧しくならない為に。

あちこちから急に電話がかかってくる。
電気の復旧と共に電話の通りも良くなったのか。
板垣(前田も)、三枝先生(お父様も千洋先生も)、それから母親。
先々週の修養会の会場が海に沈んだこと、
ここから20分車で行った所が、今、地獄であること。
生きてることの不思議。
まだやるべき役割があるのだ。

千葉でもコンビナートが爆発してガソリンが不足しているとのこと。
それでも来仙しようと、母親。
新潟経由で山形から入らないとこれないのに。
親心です。
親になったので、少しわかります。

明後日予定していた、大学卒業礼拝の説教担当、
卒業式の中止で消える。
延期でなく、中止。
卒業生たちの心境を思う。

これからの心配は、原発に集中するだろう。
怒りがあちこちに蓄積されている。
でも。
国民みんなでこの事態を招致したのです。
「反対していた」という人は、自分の力不足を思おう(私も含めて)。
そして、今必死に恐怖と向き合っている原発関係の人たちの為に祈ろう。
そうして初めて、この危機に向き合えるのだから。

「パパチョキだして。もう片方の手も。」
言われて出したら、向き合っている娘の両手のチョキと合わせて、
「星を作るの。」
あとひとつチョキが足りないよ、と、二人でにっこり。

ここで、中止になった卒業礼拝で話そうと思っていたことを書いておきます。

***********************

「卒業生へのメッセージ:真理・自由・大学」
2010年度尚絅学院大学卒業礼拝説教 川上直哉



今回の地震で際立ったのは、ラジオの存在感でした。
特にFMは素晴らしいものでした。
ショック映像を悪趣味に長居していたらしい民放テレビは論外として、
NHKでも、娘は「聞いてると怖くなる」な泣き顔で言っていました。
対して、FMは、
応援メッセージと適切な音楽と地域密着情報とニュースを流していたのでした。

家族のようにお付き合いしている独居老人の様子を
被災後の日曜日、自動車で見舞いに行った車中での事です。
まさかの事態も覚悟している耳に入ってきたのは、
FMラジオからの「Rose」という英語の歌でした。

そのラジオは、こう歌っていました。
「人はいう。愛とは河だと。
 ・・・
 誰かが言っていた。
 希望が無い事態なんて、それは夢なんだって。
 もう立ち上がれないなんて、それは夢なんだって。」

そしてこの歌はこんな風に終わっていきました。
「僕はこう言うよ。
 愛ってね、特別のもの。
 ただあなただけに伝わるものなんだ。」

本当に人に届く言葉は、特別な言葉です。
皆に届く言葉は、実は、だれにも届かない。

FMは、「一人じゃない」という言葉を一貫したテーマに展開していました。
繋がりがある事に気づく時、
人は「自分だけの特別なもの」に出会うのでしょう。

子供の頃の事です。
怖いテレビを見て、眠れなくなった弟に、こう言った事があります。
「怖いお話の先を考えて空想する、その空想のなかで眠る。
 そうすれば、怖くなくなる」

人間には、想像力があります。
想像力を使うと、私たちは、人間を超えた事象に耐えることができる。

古代の人々は、現代人よりも、人間を超えた事象にしばしば襲われた。
だから、古代の世界では、神話的な想像力が鍛えられました。

We are the worldという歌があります。
1980年代に、エチオピアで大災害があった時に作られた歌です。
「私たちは神の子だ」という意味が、
We are the worldという歌詞に込められています。

この歌が作られた時も、
人類は未曾有の出来事に言葉をなくしていました。
その絶望を払ったのは、
「私たちは神の子だ」という神話的想像力でした。
「だから、きっと何かができるよ、きみとぼくとで。」と、
そう、この歌は語るのです。

「私たちは神の子だ」という神話的想像力は、旧約聖書に遡るものです。
これは途方もない空想です。
なにしろ、ここで語られる「神」とは、天地万物の造物主なのですから。
そして、
このとんでもなく巨大な空想を本気になって底抜けに信じた人がいました。
それが、イエスという人です。

イエスという人には、所謂「名字」がありません。
どこの馬の骨ともしれない人。
しかし、そのイエスが、
本気になって底抜けに、自分は聖書の神の子だと、信じた。
そしてそう信じるように、人に勧めた。
あんまり底抜けに無根拠なその信じっぷりに、人々は魅せられた。

そのイエスが言った有名な言葉があります。
今日はその短い言葉をご一緒に噛み締めたい。
それは、この尚絅学院大学の卒業式にふさわしい言葉です。

その言葉とは、

 「真理はあなた方を自由にする」

というもの。
ギリシャ語でしたら、

 η αλ?θεια (へー・アレーテイア=真理は)
 ελευθερ?σει (エレウテローセイ=今から自由を得さしめる)
 υμα?. (ウーマス=あなたたちに)


となります。

ここで「真理」という言葉が目を引きます。
アレーテイアという言葉。
この言葉は、神話的な想像力の限界を突破する言葉です。

神話的想像力は、人間位空想に翼を与えてくれます。
その翼を駆って、人は、人類を脅かす脅威に立ち向かうことができる。
でも、空想は、空想です。
それはどこまで行っても、手前勝手なところを残してしまう。
そこに、限界があります。

空想には、抜き難く、偏見と迷信が付きまとう。
それが、神話的想像力の限界になります。

今から2500年ほど昔のこと。
その限界に気づき、それを突破しようとした人が出てきました。
ギリシャ哲学者たちです。

ギリシャの哲学者たちは、
空想が抱える手前勝手さの膜の向こう側に辿り着こうとしました。
そのための道具は、論理と数学でした。
言葉と数でした。
それを道具に使って、哲学者たちは、空想が持っている皮膜を切り裂こうとした。

真理を意味するアレーテイアという言葉は、
「覆いを取り除く」という意味を語源として持っています。
つまり、哲学者たちは、論理と数学を使って、
「真理=アレーテイア=空想の覆いを取り外すこと」を目指したわけです。

倫理と数学を使って、世界と人間の本当の姿を見つめること。
それが、哲学となります。
その哲学は、長い時間を経て、ひとつの組合を作る核となります。

今から約千年前のこと。
「真理探求組合」というものができました。
真理の探求をするために、学生と事務職員と教師とが組合を作ったのです。
今から千年前の、西欧でのことです。
当時、組合のことを「ウニヴェルシタス」と言いました。
直訳すると「ひとつになったもの」という意味です。

こうして生まれた「ウニヴェルシタス」が、
皆さんが今卒業しようとしている「大学」となって今に残っている。
この「ウニヴェルシタス=大学」とは、真理を探求するための組合なのです。

言葉と数を用いて真理を探求すること。
その事が、私たちに「自由を得させる」と、
そう、イエスは言っているように、読む事ができます。

さて、それは本当でしょうか。

ここで「自由」という言葉について考えてみましょう。

「自由」という言葉は、libertyという言葉に翻訳です。
libertyという言葉は、どんな意味を持っているか。
この言葉は、ラテン語の「liber」という語に由来します。
ラテン語の「liber」という語は、「書物」を意味する言葉です。

つまり、「自由=liberty」とは、書物によって得られる自由です。
それはつまり、「迷信からの自由」だと言えるでしょう。

私たちは、書物を読む時、
世界が急に違って見えるような、そんな知的興奮を覚える。
そうした事を思い出すなら、
「書物=liber」に由来する自由という言葉の肌触りは、
なんとなくわかってくるような気がします。

だから、イエスの言葉はこう言い換えられます。

「言葉と数を道具に世界と人間の本当の姿を見つめること、
 つまり、大学で行われる真理探求は、
 あなたたちを、迷信から解き放つ」。

皆さんが出てゆく社会には、迷信が跋扈しています。
男尊女卑があり、前例墨守があり、空気の支配がある。
それに惑わされない新鮮な風として、皆さんはここから出てゆく。
心からのエールを、送りたいと思います。

しかし、まだ、ここで立ち止まって考えることがありそうです。

今、私は、自由という言葉を「liberty」の翻訳だと申しました。
もちろん、これでは不十分です。
自由という言葉は、「freedom」という言葉の翻訳でもある。
この事をどう考えたら良いでしょうか。

「freedom」とは何か。
この言葉は、
古い英語で「freo-」という語に由来し、
その原義を「愛」とする、そんな言葉です。

そこでもう一度考えます。

「真理はあなた方を自由にする」。
それは一体どういう意味でしょうか。

神話的想像力を翼に持つ人間の想像力。
その限界は、偏見と迷信にあると申しました。
そして、迷信を切り裂く為に、
言葉と数字を使って、真理を探求する「哲学」について語りました。

哲学者は空想が抱える手前勝手さの限界を越えようとしたのです。
同様に、空想の限界性を突破しようとした人が、別にいました。
それは、イエスとその弟子たちです。

イエスは、愛を語りました。
敵を許す愛です。
裏切り者を赦す愛です。
大盤振る舞いの、底抜けの、神の愛です。
「互いに愛し合う事。」
これだけを、イエスは、戒律として定めたのでした。

愛とはなんでしょうか。
それは、隔ての壁を融解させる事です。

愛とはなんでしょうか。
それは、敵と見方の区別を無くすことです。

愛とはなんでしょうか。
それは、身内と他人の境界線を消してしまう事です。

それが、イエスの命じた「愛」です。

つまりこういう事です。
愛は、私たちを、偏見から自由にする。
誰が敵で誰が味方で、誰が身内で誰が他人か、という区別は、
単なる偏見です。
被災してみると、つくづく、そのことはよくわかります。

でも、しばしば、私たちはその事がわからないでいる。
ただ、愛に触れると、その事がよくわかるようになる。
被災地を思う優しい心は、心のバリアーを融解させる。

愛とは、偏見から自由なものなのです。
これがつまり、freedomという言葉の意味なのでしょう。

そこで考えます。
「真理はあなた方を自由にする」。

ここでもう一度、「真理」という言葉の語源を探ります。

細かい議論は省きますが、
実は、「真理=アレーテイア」という語には
「覆いを取り除く」ということだけではなく、
「逍遥する」という意味も、語源として指摘できるのです。

すると、「真理はあなた方を自由にする」という言葉は、こう言い換えられる。

「心の垣根を越えて逍遥する思いは、愛となって私たちを偏見から自由にする」。

私たちを偏見から解き放つ愛。
それを実践する為にできた寄り合いがあります。
それは、教会です。
そして、教会が建てた学校がある。
それが、ミッションスクールです。
尚絅学院は、その様にして生まれました。

そこに学んだ皆さんは、どうぞ、
偏見からの解放を宣言する使者として、社会に出て行って下さい。
皆さんの存在は、争いに悩むこの世界の希望なのです。

そして今、尚絅学院は新しい大学を、ここに建てあげようとしている。
皆さんはその最もダイナミックな瞬間を過ごした卒業生となる。

アルマ・マーターという言葉があります。
育ての親という言葉ですが、
特別な意味を込めて、「母校」という意味で使います。

「アルマ・マーター」。
どうか今日は、この言葉を覚えて帰って下さい。

今回の震災で、日本は大きく変わる事になります。
全く新しい地平が立ち上がってくる。
その年に、新しい大学を卒業する皆さん。
皆さんの母校=アルマ・マーターは、新しい学校ですが、
しかし、その根は深いところを穿っています。

皆さんは今、「育ての親=アルマ・マーター」から自立して旅立ちます。
親離れの時です。
どうぞ立派に生き抜いて、新しい時代を切り拓いて下さい。
その皆さんの足跡が、尚絅学院の未来になるのです。

もう一度、心からのエールを、送ります。
皆さんの未来に、祝福があふれますように。

本当に、おめでとう。


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