「葬儀」調査報告書「葬儀」の調査報告書(この文書の背景事情は、「二つの文書、アップしました」をご参照ください。) 日本基督教団東北教区宮城中地区の教会協議会で、ひとつの質問が出されました。それは、「火葬の後に遺骨を前にして葬儀を行う風習があるが、それはなぜだろう」というものでした。調べてみると、それは「骨葬」と呼ばれるものであるということがわかりました。そして、そのことを考えて思考をめぐらしますと、私たちの葬儀・死・身体ということの意味が、見えてくる気がしてきました。 以上が、この報告書をまとめた次第です。 (1)「骨葬」という葬儀 葬儀に関する情報を得るには、いくつかの手段があります。 最も「学問的」な装いをもっているのは、「民俗学」と「社会学」の研究成果です。 最も「実際的」な知見を示してくださるのは、「葬祭業社」のホームページです。 「葬儀→火葬」という順序と、「火葬→葬儀」という順序、この二つをどう理解するかについては、葬祭業社である「源兵衛堂」様のホームページが情報を載せていました。(一番下に、アドレスを掲載しておきます。) あるいは、雑誌「SOGI」の中にも、同様の報告がありました。 どうやら、もともと「土葬」の伝統をもった地域では、「火葬→葬儀」という順番が取られることが多いそうです。その順番で行われる葬儀を、「骨葬」と呼ぶようです。 なるほどと思います。 古くからの伝統が守られている地域においては、親族間の結束と秩序が重視されます。そして、情報通信と交通の便が良くない場合(ほんの少し前までそうですし、今でもそうである場所は多いのです)、親族の集合を待って葬儀を行っていては、ご遺体が傷んでしまう。そこで、「埋葬→葬儀」という順番が取られるようになった、そして、それが「火葬→葬儀」という順序(骨葬)になった、というのは、よくわかることのように思います。 (2)「葬儀」と「告別式」/誰のための「葬儀」か。 このことは、「葬儀」とは何か、ということを考えさせます。二つのことを考えます。「葬儀」とは、そもそも何か。そして、「誰のための葬儀」であるか、ということです。 もともと、「葬る=ほうむる」は「ハフル」と発音し、「放る=捨てる」と同じであったといいます。仏教が「火葬」を日本に持ち込みましたが、人体を焼却する、ということは大変な手間を要しますから、貴族しかそれを行うことができませんでした。そして神道では「土葬」が一般的であったこともあり、私たちの死後は「土に還る」ものだったということです。 実際、1960年代まで、「火葬」よりも「土葬」が一般的であったと、社会学の報告は語っています。 人間が、「土に還る」。このことは、宗教的・神学的意味合いを醸し出します。そこで、その「土に還る」道行きを、「葬送儀礼」と呼ばれる宗教的儀式とした。これが、「葬儀」だそうです。つまり、それはどこまでも「宗教的・神学的」な営みなのです。 しかし、俗界のこだわり、というものもあります。死んだ人に、最後に一言をかけたい。そうした「世俗」の営みとして、「告別式」がある。大事なことは、「葬儀」と「告別式」は、本来、別々のものであった、ということです。 日本で初めて「告別式」を行ったのは、1902年(「明治」34年)であるとのこと。中江兆民の「葬儀」でのことだそうです。日本のキリスト教の伝統と、私たちの「葬儀」とは、結びついているように思わされる史実です。 さて、私たちの「葬儀」は、いったい誰のために行われるのでしょうか。 明治以来、長い間、日本では、「家(イエ)」のためにすべてが行われました。結婚もそうですし、葬儀もそうでした。ですから、「骨葬」をしてでも、つまり、ご遺体となられた故人の最期の姿を見られなくても、「家(イエ)」が集まって、絆を確認しつつ故人をしのぶ場所を設けることを優先する。これが、「骨葬」の背景にある事柄でしょう。それは、絆を確かめるという意味で、尊い伝統であったと思います。 先に、1960年代に一挙に「火葬」が増えたと申しました。この背景には、都市化という現象があります。そして、今申し上げた「尊い伝統」の風化は、この「都市化」によって一気に進行します。 赤の他人の人々が、大勢一か所に集まって、都市を作る。すると、「土葬」は困難になります。端的に、「埋める場所」がなくなるのです。そこで、近代的な火葬場を建設し、すべての人が「火葬」となる、そういう状態になって、今の仙台市もあります。 都市化は、人々をばらばらにします。大家族は核家族になる。親族間の絆は解体されて行く。こうして生活を変え、絆の在り方を変えた私たちは、葬儀の仕方も変え始めたと、民族学・社会学の研究は指摘しています。 もう、仙台市では、「骨葬」はなくなりつつあるようです。人々はすぐに情報を得、すぐに集まり、葬儀を行うことができる。東京のような「葬儀」が、一般的になった所以です。 (3)「葬儀」の将来 「私のお墓の前で 泣かないでください そこに私はいません 眠ってなんかいません」とは、大ヒットした「千の風になって」の一節です。 江戸時代、キリシタン禁令の徹底のために、「檀家制度」が生まれました。人々は「土葬」をし、寺院から戒名と位牌をいただく。こうして、キリシタンでないことが証明されて、平穏無事に生活をすることができる。これが、江戸時代の制度です。 そして、明治時代になって、すべての人が「家(イエ)」を持ち、戸籍に登録されるようになります。そうして、今の寺院の「お墓」が生まれます。 つまり、長い間、「お墓」の下には「遺骨」は、ありませんでした。「土葬」は野山に行い、「お寺」に「家(イエ)の墓」を持つ。そこに展開されるのは、「千の風になって」の通りの世界なのです。そして、1960年代以降、火葬が一般的になって、やっと、「お墓に眠る」ことが一般的になった。「遺骨」が「お墓」の下に安置されるようになった。それが、「お墓の歴史」です。 これからは、どうなるでしょうか。 都市化は、とどまりません。その結果、「密葬」が増える傾向にあるそうです。ごく親しい人だけを呼び、「告別」をしてもらって、おしまい。その際、大切なものになるのが、「遺骨」だそうです。そこに、思い出を込める。 すると、「骨葬」に似た状況が、これから増えるのかもしれません。実際、「密葬」の一形態として「骨葬」を紹介する本もあります。 こうした変化の中で、教会は問われています。 「葬儀」とは何ですか? 「遺骨」とは何ですか? そして、私たちの「身体」とは何ですか?・・・ 中地区協議会の場が、こうした学びの機会となることを、役員の一人として心から願い、そうなるべく努めなければと思わされています。 最後に、本やホームページの情報など、ご紹介します: 源兵衛堂ホームページ 雑誌「SOGI」ホームぺージ: 「骨葬」についての簡単な説明がなされています。 『21世紀のお墓と葬儀:少子高齢・非婚化社会の相談ガイド』赤石書店、2001年。 宮城県図書館にあります。 クリスチャンとノンクリスチャンのご夫婦・ご親族の間に生ずる「問題」について、 Q&A方式で丁寧に解説しています。 八田洋『葬儀のすべてがわかる本』日本文芸社、1998年。 宮城県図書館にあります。 巻末の資料が充実しています。 キリスト教式が全体の0.7%であることや、 東北地方での葬儀の平均額が83万円であることなど、 ちょっと、便利です。 『葬送のかたち:死者供養の在り方と先祖を考える』(宗教で読み解く「現代」Vol.3)佼成出版社、2007年。 宮城県図書館と泉図書館にあります。論文集です。 「旅立ちから永遠の別れへ――葬列から告別式へ」や 「キリスト教会にみる死者供養」が、参考になります。 井上治代『現代お墓事情:揺れる家族の中で』創元社1990年。 宮城県図書館にあります。仙台市民図書館にもあります。 「お墓」や「葬儀」の歴史をわかりやすく書いています。 岩田重則『「お墓」の誕生』岩波新書、2006年。 宮城県図書館・仙台市民図書館・若林図書館・泉図書館にあります。 「お墓」の民俗から、靖国問題まで論じています。新書で、手軽です。 『葬儀と墓の現在:民俗の変容』吉川弘文館、2002年。 宮城県図書館にあります。 論文集ですが、最後に協議会の様子が載っています。 「お墓」「死」「葬儀」といったことを考える協議会の「お手本」のように思います。 『思想の身体――死の巻』春秋社、2006年。 東北大学図書館にあります。 東北大学図書館は、一般図書館と同じく、すべての人が利用できます。 この本は論文集です。 第五章が、「葬儀の将来」を考える上で参考になります。 井上治代『墓と家族の変容』岩波書店、2003年 東北大学図書館にあります。 専門の研究書。すこし、とっつきにくいです。 |