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信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

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第11回:聖書(その1)

二学期 第四回(通年第11回):聖書論(その1)


1.「正典」としての聖書

 私たちの教科書では、「キリスト教の基礎」を三つに分けて整理しています。そのうちの一つが、制度・組織でした。そしてそれを大切にするのが、ローマ・カトリック教会だと、説明しました。

 キリスト教は、大きく分けて三つに分けられます。ローマ・カトリック教会と、プロテスタント教会と、正教会です。古代ローマ帝国が東西に分裂した後、西側が西欧になり、東側が東欧になりました。東欧のキリスト教が、「正教会」となります。そして西欧のキリスト教会は「ローマ・カトリック教会」となる。それは精緻な制度・組織を備えたものとなり、1000年間の平和を、西欧にもたらしたのでした。しかし、1000年間の平和は、同時に、腐敗を教会内に齎します。教会の中では権力闘争が熾烈を極めます。そして、宗教改革が起こる。16世紀のことです。精密な制度・組織に支えられたローマ・カトリック教会を「改革」しようというのが、「宗教改革」。その結果生まれた新しいキリスト教を、「プロテスタント」と言います。新しいキリスト教、ということで、プロテスタントのことを「新教」と呼ぶこともあります。

 宗教改革という事業は、とても難しいことでした。なぜなら、1000年をかけて、ローマ・カトリック教会は精密な制度・組織を作ってきたからです。イエスの弟子の後継者が、ローマ教皇である。その教皇から「権威」を認められた教会が、ローマ・カトリック教会である。だから、ローマ・カトリック教会は「偉い」。どんなに問題があったとしても、「偉い」のだから、逆らってはいけない――こう説明されれば、どうにも、身動きが取れなくなります。

 宗教改革は、このローマ・カトリックの「主教制」に基づいた権威に対抗するために、「聖書」を持ち出しました。イエスの教えは、イエスの弟子たちによって教えられ、それは聖書になった。聖書こそ、基準である。聖書をきちんと理解した人が「偉い」のであって、制度や組織によって「権威」が支えられるわけではないはずだ――という理屈で、宗教改革を実行した人々は、教会の「制度」に立ち向かったのでした。

 「聖書」は、「制度・組織」と違って、個人に直接届くものです。「制度・組織」は、集団を単位にしている。でも、「聖書」であれば、「権威」は個人のものとなる。団体や集団が「権威」をもって「偉い」とされていると、社会は円滑に回る反面、どうしても、自由が失われ、あるいは腐敗や堕落がはびこることになる。そうした時、「個人」を単位にした「改革」が叫ばれます。日本でも、「小泉改革」があり「政権交代」がありました。それは、同じような文脈として理解することができます。


2.中世システムの二つの弱点

 西欧という世界がどうやってできたのか、を、2学期はお話しています。現在、西欧という世界のシステムは、世界最強の地位を得ています。「西欧というシステム」の、どこが凄いのでしょうか。実は、それは、宗教改革から説明することができます。

 西欧という世界は、最初、カトリック教会の制度・組織によって形作られました。実にそれは見事なシステムでした。それは、「中世」と呼ばれる時代を作り出します。「中世」と呼ばれる時代は、実に1000年持続しました。ただ、「中世」のシステムには2つ、弱点がありました。それは、「自由」と「聖書」です。


(1)弱点、その1:自由

 西ローマ帝国が崩壊して以来、人々は、皆自由に振舞いました。帝国が機能していると、勝手な振る舞いは許されません。帝国の秩序を乱すようなものは、帝国が暴力を行使して抹殺します。「ローマの平和」というものは、そうやって作られたのです。しかし、帝国は崩壊します。今から1500年ほど前のことです。すると、自由が暴発する。人々は勝手なことをし、戦争はやまず、治安は崩壊してしまう。困ったことに、西ローマ帝国の崩壊後、西欧の地域を軍事的・政治的に統一する勢力は、ずっと現われませんでした。実に、ナポレオンが登場するまで(それは19世紀初頭のことです)、西欧の大陸は群雄割拠の戦国時代を続けます。自由が、秩序を破壊する。それで、その自由を一定の枠内に収めるべく機能したのが、教会でした。ローマ教皇を「首位」とする教会組織は、西欧を一つにまとめ、戦争でさえも、一定の枠内におさえ込むことに成功します。こうして、西欧という世界は生まれる。それは、軍事や政治でなく、宗教によってカタチを得た共同体でした。それが持続した時代を、「中世」と呼びます。

 ローマ帝国による迫害を乗り越えた教会は、いつしか見事な制度と組織を備えていました。それが、中世の時代、西欧を覆い尽くした。すると、人々は完全に管理されるようになります。そうして、平和が訪れるのです。「ローマの平和(パクス・ロマーナ)」ではなくて「神の平和(パクス・デイ)」の到来。その「平和」は、1000年続きました。1000年間を通じて、人々は管理された。そのうちに人々は「自由」を忘れてしまった。そうして、平和はいよいよ確固としたものとなったのです。

 しかし、教会が支配する西欧においても、「自由」を持っている人が3種類、いました。一つは、軍人・政治家。一つは、学者。もうひとつは、宗教家です。この人々は、教会制度に制限されながらも、自らの「自由」を握りしめます。そして、もっと自由であろうとして、時に教会と戦う。それは、「自由」が制限されているから、戦おうとしてしまうのです。「自由」は、完全に封鎖すされるか、あるいは完全に認められるとき、魅力を失うものです。しかし、制限されて中途半端に「自由」が認められるとき、人は「もっと自由を!」という欲望に駆られる。どんな優秀なシステムでも、完全に自由を封殺することはできません。だから、教会の制度は弱点を抱え込むことになる。つまり、「自由」を制限したために、「自由」を求める人々の挑戦を受けることになります。教会制度の弱点の一つ目は、「自由」という事柄の中にありました。

 軍人・政治家が教会制度と戦うドラマは、またずっと後の回でお話できるかもしれません。今は、学者と宗教家が教会制度と戦ったこと、そのことを、話の流れに載せて簡単に押さえておきたいのです。


(2)弱点、その2:聖書

 自由を求めて闘う人々は、1000年間の間、ずっと、教会制度によって弾圧されてきました。その弾圧は、おおむね成功し続けました。なぜなら、「自由」だけでは、中世西欧の世界を変えることができなかったからです。もう一つの弱点、「聖書」が、必要でした。しかし、「自由」と「聖書」は必ずしも繋がりませんでした。中世西欧において、「聖書」を必死に読んだ人々もいました。たとえば、「修道院」という組織があります。この組織は長らく教会制度とライバル関係にあり、両者の間には緊張があったのです。しかし、教会制度は折々に対立する人々を取り込んで、自らの制度をヴァージョンアップしました。教会は、自らの制度が行き詰ったとき、修道院を自らの中に取り込んで、教会制度を補強することに成功するのです。

 そうして取り込まれた修道院の中でも、やはり修道士たちは必死になって修業をします。ものすごい熱意でお祈りをしたり、あるいは、ひたすら真剣に聖書を読んだりする。他方で、教会が中世西欧世界を作り出して1000年間、平和が保たれますから、文化が育ってきます。学者たちが、教会制度の目を盗むようにして、危険で新しい発見を求めて研究を続け、それは大きな成果を挙げていました。そうした成果に貪欲に学びながら、修道士たちは現実の宗教と向き合うのです。このようにして、学者と宗教家(特に修道士)が、互いに刺激し合って、だんだんと大きな動きが生まれ始めます。その動きは、教会制度が作り出した中世の時代の西欧システム最大の弱点を、探り当ててしまいます。

 教会は、「神様の代理人であるエピスコペー」によって監督・管理されていました。その教会が、西欧の世界を覆った。だから人々は“自分で考えて自分で決断して自分で行動する”という「自由」を必要としなくなっていました。何しろ、「神様の代理人」がいてくれるのです。恋愛のこと、進路のこと、経済のこと、病気のこと、死後のこと、何でもかんでも、「神様の代理人」の出張所である教会に聴けば、最適の解答が得られる。そういう状態になりますと、大変なのは教会の方です。あらゆる事柄に対応しなければならない。実際、教会はよく頑張りました。時代の変化に合わせて、きちんとしたマニュアルを作り、人々のニーズに応えた。時には、修道院を取り込むなど、驚くほど大胆な改革を自らに実施して、大きな時代の変化も乗り越えた。

 しかし、そうしているうちに、教会は矛盾を抱えることになります。つまり、最初の原則である「イエスの教え」とは別に、時代に対応した新しい方針・方策を策定しなければならなくなった。そこには、「イエスの教え」にはないことも盛り込むし、時には、「イエスの教え」と矛盾することも、やらないといけなくなる。

 「イエスの教え」は、聖書に書いてあると、教会はそう教えてきました。時代に対応して教会が自己改革を進めると、いつしか教会は、聖書から離れて行くことになる。実際、そうしなければ、人々のニーズに応じられない。でも、そうしているうちに、いつか教会は「神様の代理人」の役割を担う資格を疑われるようになるかもしれない。だって、その資格は「イエスの教え」の実践のために正当化されてきたのです。

 だから、現実に誠実に対応していると、いつか、「エピスコペー」の地位は、怪しいものになる。「首位のエピスコペー」であるローマ教皇の「偉さ」も、怪しくなる。そうなると、教会の制度が信用できなくなる。そうなったら、中世の西欧システムは、崩壊してしまう。

 だから、中世西欧システムの弱点の二つ目は、「聖書」になります。1000年間、教会制度はヴァージョンアップを続けた。それによって見事な秩序の維持が可能となったのですが、しかし、それは、実は自分の力の源泉を枯渇させることでもありました。だから、教会はいつしか、その事実を隠ぺいしなければならなくなります。具体的には、「聖書」を隠すことになる。もし人々が自分で聖書を「勝手に」読み出したら、教会と聖書との矛盾に気づいてしまう。そうしたら、教会の支配を正当化している根拠が揺らぐ。それは困る。とても、困る。


3.宗教改革が作り出したもの

 有り難いことに、人々は聖書を読みませんでした。人々は、聖書に書いてあることを、教会に訊いてくれた。だから、教会は自分たちに都合よく聖書を解釈して、「ヤバイ話」を人々に語らなかった。だから、人々は教会の最大の弱点である聖書に気づかなかった。

 でも、気づいてしまった人もいました。学者と宗教家です。

 学者は、いつも難しいことばかり考えていますから、たとえ聖書と教会制度との間に矛盾を発見しても、それだけでは何の力も発揮できません。本を書いて、大学で講義して、それでおしまいです。学者が教会にとって都合に悪いことを発見したとしても、それが人々の間に広まる前に、教会は手を打つことができる。ただ、そこに宗教家が加わると、とても問題は大きくなります。宗教家は、人々に直接分かる易しい言葉で語ることができる。教会の問題を学者が発見し、それを宗教家が広めてしまうと、教会は危機的な事態を迎えることになる。

 通常、宗教家は、教会制度に逆らいません。宗教家は、教会制度に支えられて生活しているのです。だから、少々矛盾や間違いがあっても、それを大声で指摘したりはしない。みんなで空気を読みあって、本当のことを黙って隠したりする。でも、時々、「KY」な人が出てきます。空気を読まず、みんながシラけるのも気にしないで、「本当のこと」を言ってしまう人です。そういう人は、学者になればいいのでしょう(そうすれば、そういう「変人」の言うことは、皆が無視してくれる)。けれど、そういう人が宗教家になってしまうと、これは大変なことになる。本当のことを人々に説得的に語られてしまっては、世の中が持たない。「空気」を乱されるのは、困るのです。だから、「KYの宗教家」は、教会が総力を挙げて抹殺しなければならない。

 実際、危険思想家だということで、公開火あぶり処刑にされた宗教家がたくさんいました。そうやって中世は1000年間続いたのです。しかし、1000年がたったころ、一人の巨大な「KY」が登場しました。ドイツの修道士、マルチン・ルターです。

 ルターは、学者の発見(主に聖書をめぐる研究の成果)を最大限活用しつつ、教会の矛盾を大声で指摘して回ります。しかもルターは、とても演説上手でした。酒場で流れている通俗的な歌をサンプリングして新しい讃美歌を作ったり、「下品な人々の言葉」と思われていたドイツ語を整理して格調を与え、その言葉で説法をしたりしました。だから、多くの人がルターの話を聞いてしまいます。そして、多くの人が教会の矛盾に気づき始める。

 もちろん、教会は黙っていません。ルターを何とか抹殺しようとします。でも、そこに立ちふさがるのが、軍人・政治家たちです。軍人や政治家は、何度も教会制度に挑戦しては、敗れてきました。自分たちだけでは勝てないと気づいたのでしょう。軍人・政治家のボス(ドイツでは“領主”と呼びました)の中の飛びぬけて有力な一人が、ルターをかくまったのです。ここに、「学者+宗教家+軍人・政治家」の連合が形成されます。こうして、宗教改革が、ようやっと、実行されることになるのです。

 宗教改革こそ、中世の西欧システムを現在の西欧システムに切り替える転換点となります。宗教改革は、教会の制度・組織を根本から変えてしまいました。でも大切なことですが、それで西欧世界が壊れなかったということです。むしろ、それによって西欧システムは劇的な進化を遂げました。中世1000年をかけて練り上げられた西欧システムは、その枠組みを維持しつつ、その中身を逆転させたのです。つまり、「首位のエピスコペー」から上意下達式に「神様の意志」が流されて、社会が安定的に営まれていたものを、全く逆の流れにした。下々にいる一人ひとりの人々が、聖書から直接に「神の言」を聞いて、自分で考え、隣の人と相談し、自分たちの意見を纏めて行く。そうやって自分たちの代表者も決める。「権威」を預ける「職」は、投票で決めていく――そうやって、民主主義というものが発生してきます。あるいは、一人ひとりが直接に「神さまの意志」を聖書から受け取り、神様の与えてくださったものとして自分の仕事に取り組む。そうやって得られた利益を神さまの恵みと理解して、それをもっと増やそうとする――そうやって、資本主義も出てきます。科学技術の爆発的な進歩と、その応用である産業革命も、同様です。私たちが西欧世界の産物として憧れる様々なものは、中世のシステムを逆転させた宗教改革によって、姿を現した。そしてそれが、一方では魅力を放ち、他方では卓越した軍事力を実現して、19世紀に世界を席巻することになる。教会の改革は、西欧世界の進化をもたらした。その突然変異をもたらしたきっかけが、「聖書」であったということ。そのことを、今日はお話いたしました。次回は、この「聖書」とはいったいナニモノであるか、それをご案内したいと思います。

第12回はこちらからどうぞ。


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