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信仰者は夢を見る:川上直哉のブログ

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川上直哉

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フォーサイス 翻訳


影をなくした男の話


音楽と礼拝


「トルコ虐殺事件」


PPMMより抜粋


最初の公開文書


宗教家の夢


説教「絆」


説教「十字架と食卓」その1


説教「十字架と食卓」その2


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説教「働くこと 愛すること」


説教「平和のために」


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説教「よき世界」


説教「天国」


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「荒野を葡萄と蜜の地に」


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説教「祈り」(信仰編)


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説教「公現日の秘密」


説教「招聘を受けて」


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聖フランシスの収穫感謝の祈り


2010年クリスマス礼拝


2011年 イエス物語 説教集


説教 キリストのからだ


震災の中での、二つの説教


ルカ福音書16章


神学者の夢


古代ローマ1:心棒


古代ローマ2:図書館の誕生


古代ローマ3:一神教?


近代日本の形成とスコットランド


「トルコ虐殺事件」解説その0


「トルコ虐殺事件」解説その1


「トルコ虐殺事件」解説その2


「トルコ虐殺事件」解説その3


書評『JUNKの逆襲』


「葬儀」調査報告書


「宗法連」研究


オバマの「カイロ演説」


2010年度 英文科授業音声ファイル


2010年度 法律学科授業音声ファイル


2010年度 総合福祉学科授業音声ファイル


10年度 法・英 補講音声ファイル


回心と論争:フォーサイス評伝


はじめに


第一章:資料


第二章:前史


第二章 第一節:生い立ち


第二章 第二節:学生時代


第二章 第三節:分節線


第三章:牧師時代


第三章 第一節:シプリー


第三章 第二節:ハクニーへ


第三章 第三節:ロンドン


第三章 第四節:マンチェスター


第三章 第五節:「継続」


第三章 第六節:芸術論


第三章 第七節:レスター


第三章 第八節:分節線


第三章 第九節:ケンブリッヂ


第三章 第十節:牧師として


仙台市民教会・戸枝義明研究


見天の易・見地の難


高等学校「聖書」授業


第1回:授業の目的とルール


第2回 キリスト教の源(前編)


第3回 キリスト教の源(後編)


第4回 時の満ちるに及んで(前編)


第5回 時の満ちるに及んで(後編)


第6回 信仰の戦い(前編)


第7回 信仰の戦い(後編)


第8回:西欧の誕生


第9回:「正統」な教会


第10回:制度・組織


第11回:聖書(その1)


第12回:聖書(その2)


第13回:信条


第14回:ローマ帝国とキリスト教(前篇)


第15回:ローマ帝国とキリスト教(後篇)


三学期 第一回


三学期 第二回


三学期 第三回


三学期 第四回


三学期 第五回


三学期 第六回


三学期 第七回


三学期 第八回


三学期 最終回


Feb 19, 2009
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カテゴリ:信仰者の夢
めくるめく、日が過ぎゆきます。

月曜日、夜、無事にイベントを終了。
降雪の中、学生諸賢が5名も来てくださいました。
その中に、ダンテの勉強会(春に開催予定)を心待ちにしていると、
すごい、お励ましの言葉をくださった方もいて。
本当に、ありがとうございました。

月曜日と火曜日の昼間は、
日本基督教団東北教区主催の勉強会に、参加。
東北の第一級の牧師・教師を講師役に、
若い牧師たちが、10名前後集って学びました。
ヴェテランとルーキーの邂逅。
言葉の重みに、ときめきを覚えるほどの慶びを感じて。
本当に、ありがたいことでした。

ヴェテランの牧師・教師の言葉の重み。
それは、実に味わい深いものでした。

マルティン・ルターは、
当時としては異常なほどの長生きをして、この世を去ります。
その最期の言葉が、絶筆となったメモとして、残されている。
それは、こう語っています。

 「五年間、牧夫や農夫であったのでなければ、
  ヴェルギリウスの牧歌や農耕歌を理解できまい。

  四十年間、支配の重要な地位についていたのでなければ、
  キケロの書簡、たとえば政治哲学の著作は理解できまい。

  百年間、預言者と共に教会を導いたのでなければ、
  聖書を十分に味わったとは思えまい。
  なぜなら、
  洗礼のヨハネやキリストの使徒たちの奇跡は
  驚くほど強力なものだからである。

  あなたは、
  神の子の死を把握しようとしないで、
  膝をかがめて彼らの足跡を拝するがよい。
  私たちは乞食である。
  これはまことだ。」


徳善義和先生の翻訳です。

聖書は、研究室や教室でも読めるけれど、
その味わいは、教会の中でこそ、確かめられること。
その内容は、分析によって把握することもできるけれど、
その滋味は、先達の足元にひざまづいて初めて確かめられること。

しかも、ここでいう「教会」というのは、
栄光に輝く神々しい場所としての教会でなく、
敗れと破綻と悲しみと痛みに満ちた、
実に人間の「ダメ」が噴出する、そういう場所。
その、人間のあるがままを受け入れる場所を導く、
その七転八倒の継続の中においてこそ、
聖書の味わいは、確かめられる。

なるほど、ヴェテランの牧師・教師の言葉の味わいは、
聖書の滋味の、余韻の香りなのでしょう。

ルターは、生涯の最後まで、現役でした。
そのルターでも、せいぜい30年程度しか、教会を導かなかった。
聖書の本当の味わいは、おそらく、最期まで憧れの対象でしかない。
でも、そのあこがれ故に、人は繰り返し、聖書に向き合ってゆく。
そして、汲みつくせない「何か」に、
時に心癒され、あるいは叱咤激励を受けて、日々を輝かしく生きていく。

生涯現役であれば、
もうこれだけやったんだと、
そういう自負があってもいい。
でも、そういう自負は、ある種の腐臭を伴う。

ルターの、この最後の言葉の、新鮮なこと。

土曜日は、今道友信先生の講義を受けに、東京へ行きます。
80歳をはるかに過ぎて、今も新しい講義を行い、
そして、新しい執筆に執念を燃やす。
その今道先生の口癖は、「憧憬」ということでした。

憧れは、きっと、常に人を新鮮にする。
新人の若者も、また、ヴェテランと共に、憧れましょう。
そうして、世代を超えて、輝きを繋ぎあいましょう。





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Last updated  Feb 20, 2009 05:48:53 AM
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