大空に向かってペダリングしている
米・コロラド州、ロッキー山脈国立公園トレイルリッジハイポイント 1991年8月~北米大陸横断単独自転車旅行午後の雨にたたられることが多くなり、その日も二つの峠、ラビットイアーズパス(=うさぎの耳峠、2873m)とマディパス(=泥んこ峠、2700m)を越えている間、降ったり止んだりの天気でレインスーツを着たり脱いだりの繰り返しだった。バッグの中の荷物はすべてナイロン製のスタッフバッグに入れて、さらにバッグの上からはカヴァーをかぶせてある。荷物については問題ないが、ペダリングする足元は、降りが激しくなるとシューズのみならずソックスまで泥んこしぶきが跳ね上がり悲惨な状態。寒くなければソックスを脱いでおくと被害はシューズだけで済む。このシューズも6月以来ずっと履き続けているので結構くたびれてきた。紫外線で色褪せてしまってもう新品の頃の様子とは全く違って見える。峠を越えた後、クレムリンという町のグロサリーストア(食糧雑貨店)で黒人のグループツーリストに出会い、ジョニーという紳士が名刺を僕に差し出しながら言った。「ニュージャージーに来たらぜひ寄ってくれ。君のゴールのニューヨークシティからそう遠くはないから...。成功を祈ってるよ(グッドラック)!」いよいよコロラドのハイライトスポット、ロッキー山脈国立公園に向かう。二日前に出会ったデラウェア州から来ていた小学校教員のサイクリスト、ジョンとケニーには置いてけぼりをくらい、また一人になる。グランドレイクのユースホステルに一泊した翌日、トレイルリッジハイポイント(標高3,713m)へアタック開始。富士山よりやや低いものの自転車ではかなり厳しい高地トレックだ。40数キロの荷物はペダリングのたびにヒザにこたえる。緩やかな登りは何とかなるが、勾配がきつくなると立ちこぎを余儀なくされる。森と湖に囲まれた静かなハイウェイ、青空はどこまでも透き通っていて、国立公園だけにゴミ一つ落ちていない。何だかんだ言いながらLAを出てもう2ヶ月が過ぎようとしている。"Hey, how ya doin' ? (やあ、調子どうだい)"...筋骨隆々の肉体からほとばしる汗、黒光りした太腿と完全に逆三角形の上半身、全身がハイテクマシンのような肉体、ともすれば筋肉のかたまりが自転車を走らせているのではないかと思われた。彼の名はビル(写真下)。オハイオから車で来て、エステスパークからグランドレイクを往復する途中だった。黒人サイクリストなんて珍しい。"You're a bike athlete or something like that, aren't you? (自転車競技かなんかやってるの)"と聞いてみたら、"No, I'm just riding for fun.(いや、ただ趣味で乗ってるだけさ)"という答えが返ってきた。ミルナー峠を越えた。シアトルから少しずつ標高が上がってきたので、身体はある程度高地に順応していたが、3千メートルを越えれば酸素が希薄なのがよく分かる。肺が圧迫されているようで深呼吸をするのが苦しい。小刻みに呼吸を繰り返すしかない。あえぎながらうつむき加減でペダリングを続けていた。ふと前方を見上げる。九十九(つづら)折(おり)の道の先には、綿のような雲がすぐそばにあって、手を延ばせばつかめそうなほどだ。 まるで大空に向かってペダリングしているようだ。このまま羽が生えてニューヨークシティまで飛んでいけたらいいのに...。 *北米の舗装道路の最高地点はMt.Evans(コロラド州)で、標高4,300メートルの高さにあるそうです(写真下)。 *フリーページに「『僕は気ままな風になる』:出版に向けて」を追加しました。