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憲法改憲の論客桜井よしこ氏と百田尚樹氏の対談中、
百田氏の語る日本国憲法作成過程が、余りにも衝撃的だ。 私の中で 「アメリカが作った憲法」 「いや、それは100%そうではなくて実際には コアの部分で日本人学者が主導している」 との両論が存在していた。 後者は10余年前にNHKのドキュメンタリーで仕入れた知識だった。 今から思えばNHKは 「そうだ、日本側は充分加わってたのだからこの憲法は 守るに値する充分な憲法だ」 と持って行きたかったのだろう。 ところがここで紹介する動画は、 昭和21年マッカーサーがGHQ内の民政局に属する24名に 今から1週間以内に日本国憲法の草案を作れ、と指示を下す。 24名中弁護士は3名(憲法学者は居ない)、後は事務員など素人の集まり。 その中には21歳の女性のタイピストなる者も含まれていた。 彼らは都内にあった図書館(焼け残ってたのだろう)に行って、 世界中の過去の憲法をコピペする。 そうして寄せ集めて作った草案をマッカーサーは日本側に提示して、 これを2日で翻訳しろ、と言う。 こうやって日本国憲法は作られたと云うのだ! 草案の後に、日本の学者が推敲したのか?? 百田氏は憲法改正に関する映画を作っていて、近々予告編だけ公開予定との事。 そんな百田氏が真偽の程が分からぬ暴論を吐くとも思えない。 充分資料を漁った結果だと思う。 100%百田氏の発言が正答としたら、こんな憲法を日本人が唯々諾々として 今だに有難がってる様は、滑稽極まると云うものだ! 事実対談中百田氏は、戦後40年経って日本の憲法学者の西氏が、 作成に携わった十数名の生存者のアメリカ人を訪ねていて、 「え~ 日本はあれをまだ使ってるのか?!」 と呆れられてしまった、との話を紹介している。 アメリカに取って ”占領中” に便利な憲法を作ったに過ぎず、 日本が独立した昭和27年4月28日以降は、さあー好きにして下さい、と 云うスタンスでアメリカは去った筈だ。 「国の交戦権はこれを認めず」 この一文は重い。 日本国の独立を承認する昭和26年サンフランシスコ講和条約の締結から、 27年4月28日の発効までの間隙を突いて、 韓国李承晩大統領は日本海に竹島を含む李承晩ラインを勝手に引き、 漁民40数名を殺戮し、数百名を人質として連れ去った。 私は小っちゃい子供心にも、当時ラジオから頻繁に流れてくる ”李承晩ライン” の文言をよーく覚えている。 ラインが線、とはアナウンサーの話で分かったし、 何か暗ーい雰囲気を感じた事を覚えている。 この時 ”交戦権” も何も、軍隊自体を解体されていたので 対処する事は出来なかったが。 では何故アメリカはこの時、竹島の防衛を代替として司ってくれなかったのだろうか? そうか、朝鮮戦争が昭和25年から28年迄だから、手一杯だったか・・ 上記した ”アメリカは去った筈だ” 以降、でも日本は何故かこれを 金科玉条の如く奉って、謂わば死守して、世界に冠たる憲法と寧ろ誇っている?或いは 変える事に怠惰な人達がまだ3分の2以上(?)は居るだろう。 だから自由民主党の結党時の旗印が憲法改正であったのに、いまだ果たせず ようやく安倍首相が一年前安保関連法案を通したけれど、 それは憲法の ”解釈” による苦肉の方法によってであり、 本丸の憲法改正、は安倍首相の任期中には出来ないだろう観測の方が断然大きい。 それは左翼の連中に取っては、甚だ愉快な事だろう。 取り敢えずは、以下の動画を観て頂きたいものだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016.10.07 15:10:57
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