風色の本だな

風色の本だな

宮沢賢治『注文の多い料理店』

 
   ◆宮沢賢治『注文の多い料理店』◆
 

さて、7月8日(月)児童文学講座 第4回目の報告をさせていただきますね。

近代の児童文学の主流として、小川未明・浜田広介・坪田譲治が御三家といわれた時代がありました。ところが、今までの報告で繰り返しお伝えしてきたように、1950年代の半ば以降、若い世代が、伝統童話を批判しました。

砂田氏によれば、特に小川未明の存在は大きく、小川未明を克服しなければ、日本の新しい文学を生み出すことができなかったのです。

1960年『子どもと文学』という評論集がその決定的なものでした。

『子どもと文学』の中では、それまでの伝統童話が、「子ども忘れ」「子どもばなれ」という言葉で表現されました。メインの子ども読者のことを考えていない。基本的なことを忘れているのではないか・・・という批判を受けました。

そして、児童文学に必要なのは、明快性(わかりやすさ)と、興味性(おもしろさ)に富んだものである・・・ということで、その筆頭にあげられたのが、宮沢賢治そして、新見南吉、千葉省三でした。

宮沢賢治の作品は、明快性・興味性に富み、きちんと読者としての子どもを意識していると評価されました。

現在、宮沢賢治は、わが国で最も名が知られた童話作家と言っても過言ではありません。

ところが、彼が生きていた頃は、ほとんど彼を知る者はありませんでした。

第2次大戦後、彼の評価は急激に高まり、それは、すでに児童文学の枠を越えていました。童話作家であり、優れた詩人であり、哲学者であり、思想家であり、科学者であり、教育者であり、農業技術者でもありました。

賢治が短い人生の中で残した仕事の中でもとりわけ評価を受けているのが童話でした。

●風土性に富んだ作品のベスト1は、「風の又三郎」
●思想性に富んだものは「グスコーブドリの伝記」
●想像力に富んだものは「銀河鉄道の夜」

ところが、生前に出版されたものは、『注文の多い料理店』だけだったんですね。

『注文の多い料理店』は、1924年(大正13年)に出版されましたが、それも、半ば自主出版のような形で、1000部程作られましたが、ほとんど売れませんでした。

本屋の店主はこの本を料理の本だと思い、実用書の料理の本の所に並べてしまっていたそうです。

この出版以前に、実は賢治は『赤い鳥』に、この『注文の多い料理店』の原稿をもちこんでいるのです。しかし、鈴木三重吉は、「その作品はとても『赤い鳥』に載せることはできない。ロシアにでも持っていきたまえ!」と言ったそうです。

三重吉も宮沢賢治の童話の持つ“ユニークさ”や“先見性”を見ぬくことができなかったんですね。

『注文の多い料理店』は、本のタイトルとなった「注文の多い料理店」をはじめ、9つの作品の前に“序文”が書かれています。

この“序文”は彼の人生観や世界観がとてもよく表れていて、賢治の人間としての生き方を高く評価されるものとなりました。

私も、賢治のこの序文が大好きです。

「わたしたちは、氷砂糖をほしいくらいもたないでも、きれいにすきとおった風をたべ、桃いろのうつくしい朝の日光をのむことができます。

またわたくしは、はたけや森のなかで、ひどいぼろぼろのきものが、いちばんすばらしいびろうどや羅紗や、宝石いりのきものに、かわっているのをたびたび見ました。

わたくしは、そういうきれいなたべものや、きものをすきです。

これらのわたくしのおはなしは、みんな林や野原や鉄道線路やらで、虹や月あかりからもらってきたのです。

ほんとうに、かしわばやしの青い夕方をひとりで通りかかったり、11月の山の風のなかに、ふるえながらたったりしますと、もうどうしてもこんな気がしてしかたないのです。ほんとうにもう、どうしてもこんなことがあるようでしかたないということをわたくしはそのとおり書いたまでです。

ですから、これらのなかには、あなたのためになるところもあるでしょうし、ただそれっきりのところもあるでしょうが、わたくしには、そのみわけがよくつきません。なんのことだか、わけのわからないところもあるでしょうが、そんなところはわたくしにもまた、わけがわからないのです。

けれども、わたくしは、これらのちいさなものがたりの幾きれかが、おしまい、あなたのすきとおったほんとうのたべものになることを、どんなにねがうかわかりません。」(序文全文)

宮沢賢治は、それまでの近代思想(近代社会)の“ヒューマニズム”(人間中心主義)を逆転させる考えを持っていました。みんな自然からもらってきたんだ・・・という自然中心主義者だったのです。早い時期から自然と人間の共生思想を持ち、いわば、時代の先取りをしていた、古くて新しい存在なのです。

『注文の多い料理店』を砂田氏が朗読されました。

賢治にとっては、タイトルにした程、気に入っていた作品で、いろいろな読み方ができます。

読みながら、「“それはだいぶの山奥でした・・・”はユニークな文体で、非常に豊かな表現ですねぇ!」と砂田氏は言いました。

白熊のような犬が死んでしまったとき、若い紳士は即座に、お金に換算して損害を嘆きます。これは、経済至上主義の象徴ですね。

実は、『注文の多い料理店』を出版した際、賢治は新刊案内に、自らのコメントを載せていたんです。

そのコメントによれば、この作品は、都会文明や、欲しいままにやっている階級の人たちへの反感を描いおり、文明風刺であり、文明批判であります。

いわば、「農村」対「都会」、あるいは、「自然」対「文明」を示唆し、風刺したものです。

賢治の心は常に貧しい農民と共にあったのですね。

この作品に対しては、最初の場面で犬が死んでしまったはずなのに、最後の窮地に追い込められたときに、再びその犬が登場し、そこに矛盾があり、構成に欠陥があると、批判した人もいました。

一方では、いやいや、犬が死んだところから、賢治独特の空想の世界に入っているのだという読み取り方があります。

砂田氏は、自分は後者の読み取り方をしていると言い、この作品はファンタジーの構造を持っており、犬が泡を吐いて死んでしまうのは、空想の世界に入る入り口であると捉えていました。

恒例の学生のレポートを紹介します。

〇この作品は小学校のとき教科書で読んだ。気味が悪かったがワクワクもした。国語のテストに出た問題で未だに忘れがたいことがある。最後の「さっき一ぺん紙くずのようになったふたりの顔だけは、・・・・・・・」は、なぜ紙くずのようになったのか?という問題で、自分は、塩を揉みこんで、水分がぬけてしまったから・・と書いてしまったが、模範回答は、「恐怖におののいたから・・」だった。今となっても自分は、「恐怖におののいた」と「塩を揉みこんだから」の両方だと信じている。

ここで、砂田氏が、おもしろい実話を話してくれました。

何年か前、ある私立中学から、砂田氏の作品を入試問題に使ったということで、入試後に報告があったそうです。そして、郵送されてきた問題には、自分の作品の全文が載っていて、設問も模範回答もついていたので、試しに自分がやってみたら、作者の意図すること、作者の狙いなどの択一の問題で、「私は80点しか取れなかったんですよ!」っておっしゃって、お茶目に笑っていました。
作者自身がやって、100点を取れない問題ってなんなんでしょう?解釈はひとつではないはずですよね。

〇仮にこれ以外のタイトルだったらちがっただろう。このタイトルからは「よほど繁盛しているレストラン」をイメージさせる。しかし、実際はおいしそうな食べ物が出てくるどころか、自分たちが食べられそうになってします。ここには主語の抜けるあいまいさの言葉遊びがある。読者には、繁盛しているレストランのイメージを持たせて、実は「客を食う料理店」であったというギャップがある。イメージが裏切られることによっておもしろさが数百倍も際立ってくる。

〇食べる側と食べられる側の逆転がみごとに光る。頭のてっぺんからつま先まで人間文明にどっぷりと漬かってしまっている若い紳士たち。犬が死んでしまったときもすぐにお金に換算してしまった2人である。山猫になった気分で見ていると、彼らがなんとも間抜けに見えてくる。そして彼らは実は自分たち自身も食べられる肉に過ぎないことを思い知らされる。東京に帰ってきた二人の顔が元にもどらなかったのは、一度真実を知ってしまった彼らは、もう2度と都会の文明の考え方に戻ることができなかったからではないのか?生々しい体験を決して忘れることができなかったということを象徴しているのではない
だろうか?とてもおもしろいと思った。

〇山猫とはいったい何か?自分は“家”の問題として考えてみた。近代化した作者とそれを迎え入れる山猫。権力者であり、親を中心とする“家”である。
作者は“家”のしがらみから抜け出そうとした。この作品は賢治を束縛した“家制度”が描かれているのではないか?

〇この作品では上流階級の鈍感さを表している。危機に直面してもすぐには気づかず脳天気に解釈してしまう2人。しかし、現代の若者にも相似しているから笑い飛ばすこともできないのである。“西洋づくりの家”は彼らの憧れであり、虚栄・見栄の象徴である。彼らはわなの仕掛けに見事に引っかかる。山猫は最初からそんな彼らの欲望を見抜いているのである。山猫はまるで現代の巧みな商業戦術のような巧妙なコピーを扉に使う。書かれているコピーに嘘はない。如何様にも解釈できる内容になっているのである。扉はひとつひとつ締まっていき、後戻りできないようになっている。本人たちは自分たちの欲望に気づいていないため、そんな仕組みにも気づかないのである。

砂田氏は、宮沢賢治を尊敬し、高く評価していました。

「私なりの評価では、一位が夏目漱石、2位が宮沢賢治、3位は司馬遼太郎or村上春樹でしょうかねぇ?」

そして、「トータルとして賢治を大変尊敬しています。若い学生たちの中には、賢治信仰があり、賢治信者がいます。賢治を完全無欠の存在として捉えているのですが、私はそれには反対です。賢治を神格化してしまうことには反対したい。完全無欠ではなく、欠点があるからこそ魅力的なのではないだろうか?」ということをおっしゃっていました。

今回は、自分が好きな宮澤賢治だったので、砂田氏のひとことひとことを食い入るように聞いていました。

私は、1996年(賢治の生誕100年祭が行なわれた年)の8月、夫と子どもたちといっしょに、岩手県の花巻を訪れました。岩手山にも登り、小岩井農場にも行って、賢治の描くイーハトーブの世界を肌で感じてきました。そして、ここにはなるほど、すきとおった美しい本当の食べ物があるのだと思いました。今、そういう風に感じられる感性こそが必要なのではないかと感じて帰ってきました。

最後に賢治の言葉を借りるならば、子どもたちには、氷砂糖を欲しいくらい与えなくても、透き通った本当の食べ物を食べさせてあげたいと願わずにはいられません。





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