私は存在するか?
子供の頃時おり、自分のまわりのものの存在が信じられないときがあった目の前の本は本当に在るのだろうかこれは私の夢ではないかだろうか本を手にとってみるこの感触は私の想像ではないだろうか本を開いてみるこの中の物語は私の空想ではないだろうか父や母、兄弟たちと過ごした年月も本当はすべて私の想像に過ぎないのではないだろうかテレビも新聞もあらゆる細かい物まで私の想像に過ぎないこの手も身体も私の想像なのだ一つ一つ、その存在を否定するではこの想いは・・・真っ暗な宇宙空間に思念がただよっているのみ!そう考え始めるとすべてが空虚に感じられた自分の存在さえも信じられなくなっていく目の前の物が目にはもうはっきりと映らない心がどこか違ったところに行ってしまったはたからみるとぼーっとしてただろうな確か中学生のときだったかなデカルトの「われ思う、ゆえに我あり」と学んだときああ一緒かな、と思ったがでも「思う我は」本当に「あり」なんだろうかとずーっと考えてしまったその「思う我」も何らかの想像ではないのかしらんだけども年を経るにつれまわりのものが存在しないという感覚も段々となくなったその独特の空虚感も感じることが出来なくなっている子供時代は誰もがそうだったんだろうか今の私はあらゆる意味で重過ぎる時には宇宙空間にただよいたいですね~もうすぐ盂蘭盆です私の、しっかりと存在する父が私の墓をどうするか気にかけています。親ですね。娘の死んだ先の家のことまで心配しています。自分でちゃんとしていくからね。 ありがとう感謝します。