恐怖の克服法。
こんにちは職場の先輩が怖い、上司が怖い、お客さんが怖い、同僚が怖い、なんてどこにでもある話である。それをどうすれば克服が出来るか。そんな方法はない。ただ、ひたすら耐えるのみである。昔、お付き合いをした女性がかつて私にこう言った。彼女は私を食事に誘ったが、誘う前は一週間考えたそうである。断られたら嫌だな、返信が返ってこなかったら嫌だな。英語ではこんな表現がある。Never late than ever.遅くてもしないよりはマシである。という表現である。上司が怖い場合、もうそれはしょうがない。耐えるしかない。今の仕事を変えても、いつかきっと同じ環境になる時が来る。先輩が怖くても同じである。ただ、私達に出来ることはひたすら耐えることである。重要なことは、愚痴や悪口を言わないことである。愚痴や悪口を言っても気分は良くならない。むしろ逆である。悪口ばかり言って幸せになった人はいるだろうか。むしろ、すべてに感謝すべきである。厳しい上司に当たって有難う。自分のスキルが上がるわけである。先輩、同僚、同じである。好きな女性や男性を誘って断られた場合、ショックだが、それが癒えるのは時間、または他に好きな人が出来た場合だけである。私の場合は、振られるのがデフォルトにあるので、基本的に女性に断られても、またかといった感じである。仕事も同じである。色々な人に怒鳴られてきたので、また、やっちゃったで終わりである。大先輩がかつてこう私に教えてくれた。先輩の子供は先輩に育てられたので、怒ってもビクともしないと。先輩は仕事に厳しく、とても怖かった。しかし、毎月そんな先輩に怒鳴られるとやはり慣れるものである。飛行機が良い例である。パリに向かう途中、飛行機はかなり揺れた。しかし、1時間もグラグラ揺れていると、ある瞬間から楽しくなるのである。さすがに飛行機も2時間も飛べば、気流が悪いところは通過する。飛行機は上空1万メートルを約時速1000キロで飛んでいる。1000キロは日本の北海道から鹿児島までである。そこまで荒れた気候はそうはない。基本的に私は非常口の前に座る。着陸は客室乗務員さんが着席している。そこで客室乗務員さんとよく雑談をする。不思議と雑談をしていると揺れが気にならなくなる。恐怖を感じる感覚はおそらくDNAに刷り込まれている。自分より強いもの、優れているものに恐怖を感じる。女性はより良い遺伝子を残そうと、自分が置かれた集団の中で優秀な人と付き合う習性がある。その一方で、男性は子孫を残そうと、その確率を上げるために、若い女性に目がいく。それは好きとか嫌いとかいう前にDNAに刷り込まれたものなので、どうしようもない。よく女性は男性に、若くて綺麗な人しか男性は目がないというが当然である。女性が高所得者に目が行くのも生物を勉強すれば分かる話である。それがベースにあるが、それだけで相手を選ぶほど人間は単純ではない。一般的に美人や美男子は性格が良い人が多い。擦れてないという言い方が正しいかもしれない。ところで、そんな人が身の回りにいたら、恐怖を感じながらも食事に誘ったり、行動を起こすことが大切である。理由は、相当美男子でない限り、女性から男性を誘うことはない。男性は一目惚れがあるが、女性はほぼない。男性が彼女をゲットするにはコツコツした努力が大切だとは林先生のお話で、DNAのお話はメンタリストのDaigoさんのお話である。そんな恐怖を感じたら、私はトイレに行き、顔を洗うことにしている。会社の外に散歩に出ることにしている。勤務時間中に何をやろうが私の自由である。やるべきことを、期限内にやる義務があるが、何時にどこにいようが、何をしようがそんなことは契約書には明記されていない。成果主義の会社において、週末に会社に行こうが、朝まで働こうが関係ないわけである。時給ベースの場合は大有りである。私の給料は時間で払われているわけではないので、朝の6時に会社に行こうがどうでも良いわけである。恐怖から逃げると癖がつく。恐怖にはじっとこらえて耐えるしかない。Life is not a thing to wait untill storm goes away, but learn how to dance under the rain.Yesterday was history,tomorrow is mystery,but today is gift.今を楽しめれば絶対に負けることはない。オーストラリアにはこんな格言があるようである。Don't run after train and girl,next one will come.世の中おそらくこんなもん。だから、かつて私の先輩はこう言ったのである。マジになんなよ、カルパッチョ。まわり、バカばっかだろ。役人時代の先輩の迷言である。先輩はPRADAの顧客で商談室に連れて行ってもらったことがある。そこは異空間である。今ではBMWを乗りまわしているそうである。私の時計も先輩に譲っていただいたものである。25歳でRolexの時計をして、ベージュのスーツで出社していた役人は東京では私だけだったと思う。夜に大学院に行くと、研究室の仲間から広告代理店に転職したんですかと言われたほどである。そんな生意気だった20代を経て、今では穏やかに歳を重ねているのである。どこの組織に行こうが、私のまわり、私を可愛がってくれた先輩はギャングだった。もはやそんな運命なのである。運命からは逃げられない。