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こんにちは😃
ponchanです。 今日もよろしくお願いします。 今日も暑いですが、マンションなので、窓を開けると、今日も涼しい風が通ってきています。 今日は、父の日ですね。 どんな父の日を過ごしていますか? 私は、もう両親を亡くしているので、大将に何か送ろうかと思います。 父。 そう言えば、一昨日は、命日でした。 元気な父でした。 お酒が好きで、休みの日は朝から飲んでました。 早くに祖父が亡くなったので、それなりの苦労もあったようですが、いわゆる貧乏人のぼんぼんでしたから、お人好しでした。 職業軍人だった祖父が先の世界大戦で戦死するまでは、祖母は奥さまで、かなりの苦労をしたようでした。 父は、3人兄弟の長男。 叔母が末っ子。 真ん中に叔父がいたらしいですが、早生したと祖母には聞いています。 軍人家庭でなに不自由なく、育ってきていて、3人の子どもたちには、それぞれ、子守さんがいて、大きなお屋敷で、お手伝いさんもいたそうです。 なので、祖母は奥さまでした。 なので、祖父が戦死した時は、三日三晩、ショックで寝たままだったと父から聞きました。 その後、真ん中の叔父も亡くなり、それぞれの子守さんも田舎に帰り、お手伝いさんも辞めてもらい、近くに祖母の兄さんがいて、いろいろと面倒を見てくれたそうです。 これは、父から聞いた話ですが、父が大人になって、働きだした時に、同僚と歩いていた時に、大きな声で父に向かって「坊ちゃん、坊ちゃん」と呼ぶおばさんが。 その人は、かつての子守さんだったそうです。 「恥ずかしいから、坊ちゃんって言うのはやめてくれ」と、そのおばさんに言ったそうです。 こんなに立派になられたと、泣いておられたそうです。 その時の同僚に、後から、坊ちゃん育ちだったのかとからかわれたと言ってました。 そのことを祖母に話すと、もっと優しくしてあげればよかったのにと言われたと。 やはり、苦労はしたけど、祖母は奥さまのままだったんですね。 そうだったんだなぁ。 わかる気がします。 祖母は、どこか、おっとりとしたおばあちゃんでした。 それと私が、生死をさまようような病気になった時、元気な頃の父が夢の中に出てきて、小さな頃に住んでいた家の茶の間で、お酒を飲みながら、私を追い返してくれました。 あの時に、ここにいろと、言われていたら、私もあちらの世界に行っていたかもですね。 それくらい、私を心配してくれていた父なんだなぁ。 そんなことを思い出しました。 夜中から雨が降り出していましたが、今は曇ってます。 いよいよ、梅雨ですかね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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