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50年後もサーファ… 岡 佑多朗(おか ゆうたろう)さん
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2005.07.06
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カテゴリ:スポーツ
 太平洋の波に乗る行為は、海人達が、アウトリガーや、2艘式カヌーから海の真ん中で波に乗る事から始まったそうです。サーフィンの幹は航海をベースとした文化で、伝説満載の歴史では、驚異的な水男が否定される事なく登場します。

 最初のサーファーは水男で、まず巧みにアウトリガーや、2艘式カヌーを操る事がただの厚板に乗る前に注目された。恐らく間違いないことは、この島の漁師が波をより楽しむ方法を考え付いたのでしょう。

 最も早い方法として波を使って珊瑚礁帯からカヌーをビーチまで引き出した時に。まだはっきり定義できない段階で、波を捕まえる事は、毎日の労働の技術から、スポーツへと発達したと思います。労働の代わりの楽しみとして。この変化がサーフィンの革命であるといえます。

「何千年もの間」 1960年代のサーフィンチャンピオン フレッド・ヘミングスが書いたなかに、次のような文があります。

「世界中で、偉大な大洋に面する地域の生活と発展は、自然の波を人間に敵対するものとして捉えてきた。そこで人々は困難だけを見ていたからだ。しかし、ポリネシア人はその中に楽しみを見出したんだ。

しかしサーファーの態度というものは、太平洋の旅人や船乗りや漁師とは同じではなかっただろう。1960年代に世界サーフィンチャンピオンのマイク・ドイリーが彼の自叙伝「朝のグラス」の中で指摘した事は、「水男(ウォーターマン)の伝統はポリネシアから

来ている。そしてそれは水夫(セーラー)の伝統とは異なっている。水男の技術はサーフィン、パドリング、ローイング、荒海での水泳を含んでいる。また恐らくダイビング、釣り、銛つき、二人乗りサーフィン、人命救助、アウトリガーカヌーの操縦なども。しかし

彼はセーリングや航行の技術は必要不可欠ではなかった。 違いは、水男が海岸線の水に焦点を当てていたことだ。他方で水夫の領域は深海である。サーフィン初期の書物を読んで、私は学んだ。私の前の水男達はただ単にダイビングショップやサーフショップへ行

き、最新のグッズを棚から買うという事はしなかった。彼らは自分のボードをデザインし、彼ら自身のダイビング用具を持ち、彼ら自身のアウトリガーカヌーを持っていた。彼らは常に考え実験して他の水男たちと一緒に用具を完全なものにしようと努力していた。

誰もどうやってサーフボードがデザインされるのを知らなかった。唯一の方法は、実際に試してみて効果があるものと無いものを見つけ出す事だけだった。」

残念な事に、「ウェーブ スライディング」 a.k.a. サーフィン -- 古代ハワイ語ではヘイナル -- の始まりを正確にトレースする事は出来ない。どのようにして幼年期を発達させたのかは推測の域を出ない。しかし希望としては将来の太平洋の考古学的研究がいく

つかの回答を出すだろうという事だ。その間は、私たちが知りえる初期のサーフィンは1700年代にポリネシアに最初に上陸したヨーロッパ人の記録に頼る事になる。数百年に渡る長い旅がそこで終わったのだ。

タヒチにおける最初のポリネシア人とヨーロッパ人との接触は1777年だった。 -- 英航海士ジェームス・クック船長が、タヒチ人がどのようにして娯楽のためにアウトリガーカヌーで波を捉えるかを紹介している。「マタビポイントに散歩に行くと、そこで我らの

テントが設営されていた。私は男が小さなカヌーですばやくパドルしたかと思うと、熱心に両側を見ている。それに見とれていると、彼は岸からうねりが上がる場所まで出て行き、その最初の動きを注意深く観察している。その前でとてもすばやくパドルして、それ

が彼を見下ろすようになると彼は下に潜ってやり過ごすことなく、カヌーを動かすのに十分な力を得て、瞬時に座ったかと思うと、波と同じ速さで運ばれていく。それが浜辺に上陸するまで。そしてまたスタートして、カヌーを空にして、別のうねりを探す。 私はど

う結論付けたらよいか分からないが、この男は最高の楽しみを其れほど速くスムースに海の上を動く事に感じているようであった。」

サーフライディングの引用は伝統的なポリネシア人のメレ(歌)の中に広がった。魔法や口述伝承歴史は歌によって語り継がれた。長い船旅の終わり頃までにはサーフィンはポリネシア人にとって最も広まったスポーツの一つとなった。ヒエナルはここからあちらへ

と、太平洋全域に広まった。ニュージーランドからハワイ、そしてラパヌイ(イースター島)からニューギニアへと。ボードサーフィンはポリネシア三角地帯で最も栄えた。ハワイ、ラパヌイ、アオテアロア(ニュージーランド)の間である。西ポリネシア、メラネシ

ア、ミクロネシアでは、ボードサーフィンのようなサーフスポーツは主に子供達の遊びだった。通常は男子だけ。それに引き換え、東ポリネシアの最も主要な島々では、サーフィンは男女の全ての年齢層のスポーツとなった。ボードスキルの震央はハワイである。そこでヘイナルは高度な表現へと発達した。

面白い事に、他の事と同じで、サーフィンはシンプルに始まり、どんどん複雑になった。ハワイのサーフィンの起源の発展はおよそこんな感じだそうです。

1) ベーシックなカヌーサーフィンからシンプルなボディサーフィンへ。ハワイ語ではヘエウマウマ。

2) それから原始的なサーフィンの形に。主に子供の遊びとしての小さなボディボード。それは太平洋中に広まった。現在のボディボード、或いはブギーボードといわれるスポーツは、数千年の歴史、恐らくポリネシア人の太平洋の島々への移住と同じ位の歴史がある。

3) ボディボードから、東ポリネシアでは大きなボードに乗る大人のスポーツが広がる。

4) その後はサーフィンはハワイで最高点に達し、崇高な表現を得る事となった。

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Last updated  2005.07.06 16:21:20
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