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過去との決別など出来る筈がないが、それが「死」ということではないか。何時までも未練を持っていてもその時は来るのであり、現在以前は過去でしかない。何の助けにもならない。今日担当医の診断を受けたが、「よくやっていますね。鳥渡珍しいくらい」とかなんとか、そんなことはどうでもいいのだが。「然し、明日は・・・、私も続けられるかどうか」というようなことを言うと「そうですね」と言われた。「あなたは解っているから・・・」。そんな私に自分の病気のことなど解る筈はない。
・知ったかぶりをしても、鳥渡も一分間だって長く生きることはできない。未練を残さないで生きることなど人間にはできないに違いない。然し、其れを遣ろうとしてチャレンジしていることは言えなくもない。負けるに決まっている。負ける解っていても、過去と何時からは切れるということを認識しなければならないし覚悟もいるのだ。
・へ2・・・自分の過去とは、自分自身であり、身内であり、友人たちでもある。どれも残すことはできない。「こころ」の先生は、虚構でしかない。現実ではないからああして書けるのだろう。Kは食客であり、寄生者でしかない。それが宿主に代わることはできないだけだ。私も30歳近くまで親に寄生して生きていたから、結婚など考えたこともなかった。先生がしていたのは妄想でしかない気がした。さて、夕方和白干潟コースをウオーキングしてきた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009.05.18 18:30:57
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