ヘイフリックの限界part2

2023/02/26(日)17:24

「レイニー河で」

「レイニー河で」の文中に、   「俺は戦争に行くだろうー俺は人を殺し、あるいは殺されるかも知れないーそれというのも面目を失いたくないからだ。」(同書村上春樹訳) 「私は卑怯者だ。それは悲しいことだった。・・・」と続いている。「面目」という概念は、其の人にとって違いもする。アメリカ人と、日本人では全く違うものにもなるだろう。「面目」ということばでさえ、それが適正なフレーズだとも言えない。ある人にとっては、全く違うフレーズに為るかも知れないだろう。彼はその面目に付いて長々と書いている。  ・カナダに逃げるかどうか迷い続けて、あと一息の場所であるレイニー河の上で苦悩して、引き返した。思いがけず徴兵されれば、誰だって悩むに違いない。彼はベトナム戦争には反対だったが、国が決めた法律であれば従わねばならない。兵士の一人となり、それが何だろうと、相手を殺さねばならないのだ。それが正義だし、殺すか殺されるかのどちらに立つかでしかない。追い込まれれば、人は道具に為る。  ・へ2・・・「面目」というフレーズに、アメリカも日本も同じだと思う。昔の武士も同じことを言っていた。恥を掻きたくないと、死んでいった。死にたくもないのに、死ななければ、自分だけではなく、家族も生きていけなくなる。誰かのために死ななければならなかった面目がある。それこそ、太古の昔から、それはあるのだろう。人間の心には進歩はないのだろうか?

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