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テーマ:今日の出来事(292837)
カテゴリ:友人
今日は日航機事故で亡くなった友人の命日です。
彼女の名前は吉田由美子。 元タカラジェンヌ。(芸名:北原遥子さん) 気づいた時には仲良しで、家も近く小学校に入学後は下校はいつも一緒でした。 休憩時間や、下校時に体の柔軟な彼女に私は、いくつかの技をおしえてもらいました。 ブリッジや鉄棒。 ブリッジは、最初上手くできないわたしに、両手で輪をつくって彼女が支えてくれて、練習しました。体育の授業で先生に見本を披露するように言われて補助なしで、きれいにブリッジをきめた彼女が、私もできるんだと、補助をしてみんなにみせてくれたことも覚えています。 鉄棒も得意で、見上げるような高い鉄棒でくるくると上手にまわってみせてくれました。 誕生日会によんだりよばれたり、バレエの発表会の写真を見せてもらったり、、、。 普段はクラスの男の子たちも一緒に引き連れて本当に楽しく遊びました。 そんな彼女がお父さんの仕事の都合で社宅の大阪から引っ越す日、お母さんと2人で挨拶をしにきてくれた時のこと、普段おてんばだった私たち2人とも、最期は緊張して、親同士の挨拶を横でもじもじと聞いていて、あまり話もできなかったことを思い出します。 その後、文通が始まりました。 住所を交換した記憶はありませんが、おそらく母同士が交換していて、促されたのだと思います。 この文通は、小学3年から20歳を過ぎるまで、ずっと続きました。 忘れた頃にお互いの近況を伝え合う状態が続きました。 彼女は体操の選手になり、全国大会などの記事で活躍を目にしたり、大会の案内をもらったり、、。 私が短大1回生のときに、彼女は宝塚の新人女優として舞台デビューを果たしました。 初舞台のチケットが送られてきました。 私は短大生活に真っ只中で、学校や恋に忙しく、あまり興味のない宝塚の舞台を見に行く機会がありませんでした。 近いし、いつでも会いにいけるという思いもありました。 その後、彼女がマスコミにとりあげられ、ドラマに出たり、徹子の部屋に出たり、CMデビューなど、注目をあつめはじめたのを、とても嬉しく思っていました。 今日、吉田さんが徹子の部屋に出ていたわよと母から聞いて、そうなんだぁー、どんな素敵な女優になるんだろうと思っていたのに、それから間もなく、女優として花開くのを目前に、ぱっといなくなりました。 利発そうな広い額、澄んだ瞳はあの頃と変わらず、美しいまま逝ってしまいました。 元宝ジェンヌの女優の黒木瞳さんは、宝塚音楽学校時代からの彼女の友人です。 彼女のことを本に書いています。 阪急のCMでも宝塚といって何を連想しますかという問いの中で「ゆみちゃん」と吉田由美子さんの愛称を言っていましたね。 「わたしが泣く時・・」には日航機事故のときの出来事が書かれていました。 先日、吉田さんのお母さんが、本をだされたことをテレビで知りました。 夕方暗くなると、「ゆみこちゃーん、ゆみちゃーん」と、大きな声で彼女を呼ぶお母さんの声を私は今も覚えてる。 男子がおもしろがって真似をするので、笑いながら叱ったものでした。 嬉しそうに、じゃ、また明日!と家に向かって走り出す彼女の後姿も忘れられない。 読もうと思う、、、。吉田さんのお母さんが書いた「由美子へ」。 彼女の最期を私も知りたいと思う。 あの幼い日、一緒に遊んだクラスのみんな、、あの吉田さんが、日航機事故で亡くなったあの女優さんだってことを、知っているのかな? 日航機事故で亡くなった、大勢の皆様のご冥福をお祈りします。 あ、、、そろそろ義父のお参りに住職さんが来られる時間。 http://item.rakuten.co.jp/book/4105324/ 出版紹介記事のリンクはこちら↓「戻る」ボタンで楽天記事にもどってください http://www.mainichi-msn.co.jp/today/news/20060809k0000e040074000c.html http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20060811bk03.htm?from=os2 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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