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カテゴリ:農学校教師時代
1924(大正13)年6月21日の詩です。
1羽あるいは複数のカッコウが飛ぶようすを、物理化学的な数や量の遷移にたとえつつ、亡くなった妹を追慕する詩です。 1922(大正11)年11月27日に最愛の妹、トシは、結核で亡くなりました。それから約1年半たっても、何を見ても亡き妹が思い出される賢治です。 鳥や自分という生命体を、個体ではなく、物理化学的な現象としてとらえる考え方や感覚は、「春と修羅」序文にも通じるように思われます。 「序/わたくしといふ現象は/仮定された有機交流電燈の/ひとつの青い照明です/(あらゆる透明な幽霊の複合体)/風景やみんなといつしよに/せはしくせはしく明滅しながら/いかにもたしかにともりつづける/因果交流電燈の/ひとつの青い照明です/(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)」 (本文開始) 二七 鳥の遷移 一九二四、六、廿一、 鳥がいっぴき葱緑の天をわたって行く わたくしは二こゑのかくこうを聴く からだがひどく巨きくて それにコースも水平なので 誰か模型に弾条(バネ)でもつけて飛ばしたやう それだけどこか気の毒だ 鳥は遷り さっきの声は時間の軸で 青い鏃のグラフをつくる ……きららかに畳む山彙と 水いろのそらの縁辺…… 鳥の形はもう見えず いまわたくしのいもうとの 墓場の方で啼いてゐる ……その墓森の松のかげから 黄いろな電車がすべってくる ガラスがいちまいふるえてひかる もう一枚がならんでひかる…… 鳥はいつかずっとうしろの 練瓦工場の森にまはって啼いてゐる あるひはそれはべつのかくこうで さっきのやつはまだくちはしをつぐんだまま 水を呑みたさうにしてそらを見上げながら 墓のうしろの松の木などに、 とまってゐるかもわからない (本文終了) #宮沢賢治 #カッコウ #トシ #遷移 #鳥の遷移 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021.06.24 03:31:56
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