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BIZ粋 ★人生をイキイキと粋に★

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2007.04.06
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カテゴリ:老人のつぶやき
別にあえて発表することでもありませんが。
リアルにお会いしたことがあってこの日記を読んでいただいている方には
公開したいなあと思いますし、お会いしたことなくても、
恐縮ながら、読んで何かの参考にしていただているいる方々にも
お伝えしておこうかと思います。

2007/4/20(金)に今勤めている会社を退職することになりまして、
昨日、社内でも発表になったので、ここでもお伝えしておきます。
伝言ゲームで社内でもいろいろな方からメールいただいて、
10年ぶりの飲みに行くことになった人もいます。

今の会社は、1995年に大学を卒業して新卒で入社し丸12年勤めています。
転職するにはちょっと遅いくらいかもしれませんね。
でも、機が熟したのが今なので、それはそれでOKかなと。
世間とか、30歳転職限界説とか関係ありませんね。私にとって。
自分がどう進んでいくかの問題ですから。

さて、キャリアの振り返りをしてみたいと思います。
大学時代の私は、芸術大学で広告の勉強をしておりまして、コピーライター志望でした。
就職活動では、広告代理店とスポーツ用品メーカーを志望して活動しまして、
今の会社は、広告代理店ではなく通販の会社でカタログがあるので、コピーを書けると
思って入社しました。ゼミの同期はほとんど広告代理店や販促プロモーションの会社に
就職していました。
1994年にシュウカツをしたのですが、ちょうど氷河期に入っただけでなく、
大学入るのに二浪したおかげで、第二次ベビーブーマーの人たちと重なってしまいまして。
その年には「就職氷河期」に入ったと言われてました。
アルバイトで一緒だった有名私立大学の人たちが苦戦する中、就職活動は全く苦労しません
でした。(♪優秀な人材と勘違いされ・・・)

入社すると全く予想だにしない、やりたい仕事ではない部門に配属されました。
3日で嫌になり辞めようと思いましたが、その頃は、会社勤めは限定的で、
次にあること(これは内緒)をしようと思っていたので、まあ、世の中の大人の
大多数がやっているサラリーマンをもう少し経験するのもいいかな、と思って
続けました。仕事のモチベーションはゼロでしたが。
気晴らしに中型二輪の教習所通いました。当時はバレーもまだまだやってましたが。

3ヵ月経ち、半年経ち、1年経ち、それでもその仕事は面白くなくて、どうしようか
かなり思案していました。
なんででしょうね、辞めなかったのは。あのときの気持ち、ちょっと思い出せません。
なんとなく学生時代よりも自分に自信がなくなっていたので、そんな状態で辞めたら、
ホームレスになるんじゃないか、そんな思いもあったからでしょうね。
2年目に入るころ、自己申告書がありましてね、それに異動させてくれ、と書きました。
コピーが書けると思って入った会社ですが、該当部署ではコピーを外部のコピーライターに
依頼していました。あれっ、そういえばそこまで調査してなかった。
シュウカツの詰めの甘さといいますか。やりたい仕事がないです、どうしようかと。


2年目の終わりに異動になり、自己申告書の通りになりました。
というよりも他の部門で人が足らなかっただけですが。
印刷用紙と印刷などカタログの手配をする部門に異動になりました。
ここでは、こっぴどく指導・教育されたように思います。
ねっちこいんですね。言われ方が。それでもマイペースなんで指導する先輩の方が
しんどかったんではと思います。私は、自分でやろうと思って動き始めないと、
なんぼ言われても動かないタイプでして。まあ、できない若手社員でした。
そうこうする内に、その部署の一部が別の部署に切り離されて、私が独り立ち
しなければならない場面が来ました。強制的に。
それまでやっていなかった紙の担当に。
そこで、紙についてかなり勉強しました。
用紙の計算方法は独特でして、斤量とか米坪とか連とか専門用語も学び、
その一方で、紙の原料から紙ができるまで
(※印刷用紙はもう少し工程が多いです)の工程を知るために専門書を読みました。
印刷すると印刷のインキが載らない不具合が起こる用紙が時々出てきますが、
なぜ出るのか、何を改良するといいのかを知りました。
用紙メーカーに「塗工材が悪いのでは」とか専門的な質問したりしてました。
そして、用紙メーカーの工場へ。
いつの間にか用紙の営業担当の人では知らない知識を習得していて、工場長と直接
話をしたこともあります。
そんなこんなで、仕事のしかたを覚えたように思います。
あと、徹夜で仕事をしたのもこの頃です。
睡眠時間削って、仕事をやるなんて入社した頃の私には考えられなかったし、
やっている時も、何でこんなことやってんねやろうと思ったこともありましたが、
まあ、一所懸命やろう、ただそれだけで続けられました。
ここまでで7年です。
7年目は、紙と印刷のコスト管理をして合計100億円近い金額の管理をしました。
これは、怖いですが自信に繋がりました。ここでも結構叱られましたが。
コスト管理をしていると、もっと大きなコスト管理=会社経営について、
興味が出てきました。
7年目に社内公募に手をあげて、経理に行くことになりました。
異動する時には、散々上司に嫌味を言われ、仕事もできないくせに、というような
ことも言われましたが、全く気にしない性格でして、暖簾に腕押しなので、
さらに面白くなかっただろうなあと思います。
でも異動した後に、お前が抜けて痛いなあと言われたり、取引先の印刷会社の方に
たまたま社内で出会って、ケンジャさんが抜けてかなり仕事しんどくなりました、
戻ってきてくださいよ、と異動して一年経っても言われました。
オベンチャラでも嬉しいものでした。


経理は2年やりましたが、1年やれば十分でした。
まあ、私には合っていないなあと感じました。
黙々と商談もなく、一日机について伝票めくってで電卓たたいて、
まあ、苦痛な仕事でした。でも、会社がどうなっているのか、なんとなく見えました。
まあ、ボンミスもありました。勘定科目の間違いとか、入力モレとか。
2年目に入るとあまりにもつまらなく感じたので、プロジェクトに参加しました。
キャッシュレスシステム導入に、一部上場プロジェクトに、いい機会に恵まれました。
その頃に感じたのは、経理担当者のモチベーションの低さと向上心のなさです。
なんだろう、この部署は。提案もなければ、何か変えようとしても、やめときって
感じでした。経理の仕事でもエクセルの関数組んで便利になることは勝手にやりまして
経理を出た今でも、その時に私が作ったものが使われていて便利だと言って貰っています。
私は前任者から引き継いだ仕事をそのままするのは面白くないので何かを変えたいなあと
思うタチでして、なければ書式フォーマットだけでも変えたりします。
自分らしさを出したいわけです。
その頃でしょうか、ファシリテーションやワークアウトを学び、コーチングに出会って、
本を読み、実践でも適当に使ったりするようになっていました。
経理のミーティングで誰も発言がないので、私が勝手に知ったばかりのコーチングの知識を
使って、質問を投げかけたりしていると結構意見が出るようになりミーティングは活性化しました。
私が仕掛けたことを経理のリーダーは今でも知らないと思います。
そんなこんなで、人材育成に興味が出て、コーチングを資格を取ることにして、
自費で58万円出して学ぶことにしました。
そのころに、人事に異動することになりました。


異動の理由はそんないいもんじゃない。
経理に全然向いていないのと、人事で人が足りなかったというだけです。
でも、私にとっては渡りに船でした。
教育希望だったんですが、採用になりました。最初はあれっと思いましたが、
結果的には、ラッキーでした。
採用をやると、教育も知ることになり両方の知識を得ることができました。
折りしも、会社では中途採用ブーム。業績が回復して人手不足でした。
私が担当した2年半で約250人以上の中途採用をしました。
単純に求人出して、応募された方を面接してではなく、お節介ながら、
応募してきた人に対して、当社では合わないと思ったら、辞めといたほうがいいです、とか
当社よりも同じ業界のあの会社の方がいいですよと伝えたり、
その方が行きたい業界に強い人材紹介会社を紹介したりしました。
採用で思ったのは、人材採用は「マーケティング」であり、「採用担当としての自分を売り込む」
ことであり、自分を磨かないといい人は来てくれないということですね。
そりゃそうですよね。応募者はまず、その会社の人事採用担当を会うわけでその人が
イケてなかったらその会社に行く気にはならないですからね。

そこでキャリアについての考え方を学びました。
人生について考えるようになり、このブログを書き始め、今に至る。
幅広いキャリアを積めてラッキーでした。

これからも人事の仕事をしたいし、人事企画から採用教育まで幅広い人事のスキルを
高めたい。それは何でかというと人がイキイキと働き幸せになるための手助けを
もっとしたいと思っているからです。
それが今の会社ではできなくなった。残念ながら。
そこで、できるところを探していたところ、人事全般をやる人を探している会社があり、
一致したというわけです。


不安、全くありません。楽観主義だからということもあるでしょうが。
期待、過剰な期待はしないように心がけています。
ただ、順応していこうと思っています。順応できれば、あとは自分したいことを
していくだけです。

ということで、2週間後今の会社の最終日です。

これからは、人事企画もそうだし、労政もそう、労働法は覚えないといけない、
採用も、教育の講師もしないといけない。
やることがたくさんありすぎて、楽しみです。
しんどいやろうなあ、しんどいのも楽しそう。私はドM?
しんどさの先に、喜びが見えます。

ということで長くなりましたが、来月には新しいステージに立っています。

また、いろんな人に助けられるんでしょうね。
助けてもらうので、こちらもできる限りのことで返したい。
みなさんが、イキイキと暮らしていけるように。





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Last updated  2007.04.07 01:09:17
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