カテゴリ:老人のつぶやき
人は、安心や安定を求める動物です。
いや、それは、人に限らず生物すべての共通するところです。 では何故人は、安心を求めるのに、その行動はそこに向かっていないのに、 方向性を変えられないのか。 それはまた、方向性は間違っていても、動き出した方向性に対して、 安心してしまうからなのではないか。 つまり、本当の安心を求めることができれば幸せなのだろうが、 「何でもいいから安心を求める」、それが人間なんだと感じます。 真っ当に素直に生きていようが、スポーツに打ち込もうが、 グレて暴走族に入るのは、グレて自分を受け入れてくれなくなった コミュニティからの不安を振り切り、安心を求めるためだ。 もっというと、その先にある「仁義」なんかも、その延長線上にあるの だろうと考えます。 でだ、真っ直ぐに生きる事は、誰かに依存することではない。 何故なら、例えば、真っ直ぐに働いて、会社に依存して働いてきたのに、 その会社が環境変化に適応できなかったために悪化し、リストラに 会う事もしばしばだからです。 だから人は、自分の思う安心を、誰かに依存するのではなく、誰かと 一時的に「共有する」という発想が大事なんですね。 その一時的がずっと続けば、一生だろうし、続かなければそうでもない。 自分の安心を求め続けるには、大きな視点で、一時代とかではなく、 地球上で生きていく上で、「もっとも自然で、無理なく生きる方法」を 実行することなんですね。 正しいことを、そのままやってみる。 その正しいことは、時代に左右されるものではなく、動物が本来求めている安心を 求めることなんだと考えます。決して、人間の恣意的な安心ではない。 もっと単純化された安心です。 それができれば、世の中は、市場経済でも、WIN-WINが成立すると思う。 なぜなら、経済活動というのは、モノ・サービスの等価物として貨幣で支払う 「物々交換」なわけでから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.08.31 23:53:55
|
|