保守先鋭化の時代背景―“国家の退場”から“国家の復権”へ
安倍政治の歴史的位置をどう見るのか?保守先鋭化の時代背景―“国家の退場”(新自由主義万能論)から“国家の復権”へ0、はじめに安部政権は憲法解釈の変更で集団的自衛権行使体制への突破口を開いた。専守防衛という自衛のための安全保障政策を他国のための戦争参加を含む安全保障政策への大転換である。戦後史を画する事態であり、この安倍政権の歴史的位置が問われることになろう。つまり日本国家はどこへ向かおうとしているのか?私たちはどう対応すべきなのかという歴史的分岐点の中心問題に直面しているという情勢判断である。とりあえず三つの視点から事態を分析しておきたい。1、安全保障政策の転換とODA解禁の狙い―安全保障政策の三本の矢と安倍政治の特徴安倍のミックスの三本の矢とはよく言われるが、安全保障政策の三本の矢とはあまり聞かないが、集団的自衛権の意味を理解するうえで重要な“言葉”である。●ODA政策の転換と“安全保障政策の三本の矢”安全保障の三本の矢とは第一:武器輸出三原則の撤廃・修正、第二:集団的自衛権の容認、第三:ODA大綱の見直し、である。集団的自衛権行使容認によって、中国を仮想敵国とする対抗戦略は、主として中国と紛争する他国の戦争への支援を日本国家が多面的に展開することを可能とすることになる。ここにODA支援の大幅な緩和と変質を図る政策を打ち出す根拠がある。(開発協力大綱)周知のように、安倍内閣は4月閣議決定で武器輸出三原則に代わる「防衛装備移転三原則」を打ち出し、南シナ海で中国との領有権問題を抱えるフィリッピンやベトナムへの巡視船や装備品の輸出に道を開いた。しかも、武器部品輸出の大幅緩和は戦争当事国だけでなく、軍拡への道を急ぐ諸国への事実上の支援になり、殺人兵器生産への貢献度を高め、兵器産業の有力な国家への道を選択することとなった。武器・兵器への産業規制を支えてきた憲法9条による国家(政治)の規範的な枠と力を事実上に空洞化させることになった。●ODAの在り方を変えるー外務省・有識者懇談会の報告書(6月26日)今のODA大綱では「軍事的用途及び国際紛争助長への使用を回避する」と記載されており、現状のODAは支援国の軍隊に武器ではない物資を送ったり、軍人に救援など軍事と関係のない技術指導をすることも禁止している。今回の報告書は「軍隊の非戦闘分野での活動が広がっている」ことに対応して支援を拡充することを打ち出した。災害救助など軍事でない分野であれば、これまで禁じていた外国軍への支援を認める内容であり、途上国への民生支援に限って60年近く続けてきた日本のODA政策の大転換である。この政策転換で、南シナ海で中国と対峙するフィリッピンなどで災害時に利用するとして軍民共用の港の整備ができることになる。もう一つ変わる点はODA支援を途上国以外に拡大する点だ。軍事利用につながる支援は禁止してはいるが、外国軍への災害救助、地雷撤去など民生目的の支援は解禁。明らかに中東の石油産出国への支援を想定している。●日本政府はフィリッピン、ベトナムとの関係強化を図ろうとしたが、ODA大綱が障害になっていた。あまり知られていないことであるが、ベトナムは10艘の巡視船を受け入れた。ベトナムでは、ODA大綱に抵触しないように、軍所属であった海上警察を軍から切り離す機構改革を行った。このままでは関係強化に使えないとの判断が安倍政権・外務省に生まれ、危機感を抱かせた。報告書では今後軍への民生支援が直接できることになる。ODAを卒業した国にも支援を広げようとしている。東南アジア諸国とともに、中東諸国を対象にする。海上輸送路(シーレーン)の安全確保に活用することを想定している。このような外国軍へのODA支援を認める報告書は対中国を念頭に置いた安全保障戦略に沿うものだ。非軍事目的に限ってはいるが、十分軍事に転用される可能性が高まる。2、尖閣・アジア戦争への日本の参戦(潮8月号藤原帰一論文を読む)藤原の論文は興味深いものである。3点を骨子にしている▲第一に。現状は片務的なので、双務的な日米同盟こそが望ましいと従来アメリカは考えてきた。集団的自衛権は限定的であれ、行使容認となれば安保条約は片務的ではなく双務的な形へ変化していくでしょう。このところ米国は集団的自衛権行使に慎重な姿勢を示してきた。日本が中国と紛争を起こし、その紛争に米国が巻き込まれる可能性が具体的に生じてきたからです。同盟関係には紛争が起きたときに「巻き込まれる危険」と「置き去りにされる危険」があります。同盟関係を結んでいても相手国家が同盟国としての責任を果たさない。これが「置きさりにされる危険」です。同盟関係があるために、自分が望んでいない紛争に参加しなければならない。「これが巻き込まれる危険」です。伝統的に日本の左派は「安保条約のためにアメリカの戦争に巻き込まれる」と危険を訴えてきましたが、今起きているのはちょうどその逆、日本の始めた戦争にアメリカが巻き込まれる危険です。アメリカは極東の軍事的抑止に関心があるものの、中国と実戦を構える事態は絶対に避けたいと考えています。集団的自衛権を認めれば日米一体で行動できるようになり、中国の行動を抑止することが出来るという主張には賛成できません。すでに中国は日米一体の軍事体制を織り込んできたからです。▲第二に、靖国参拝が日本の国益を毀損したのです安全運転であった自民党政権の性格が、どこから急変したのか。昨年2013年12月26日安倍総理は総理として初めて靖国神社を参拝しました。安倍総理は「靖国参拝はアメリカのアーリントン国立墓地訪問と同じだ」と強弁している。しかし靖国神社には遊就館がある以上、同じではありえない。遊就館は日本国民一般が認めている第二次世界大戦の解釈とは正反対の戦争解釈をしています。「第二次世界大戦はアジア解放のための戦争だった」という解釈です。集団的自衛権の容認は1960年日米安保条約を結んだ当時からの事実上の規定事項であるから、対外的に大きな意味はない。総理の靖国参拝こそが、日本外交にとって、集団的自衛権問題以上に決定的に大きな意味を持つことを知っておく必要があります。▲現実味を帯びる中越戦争今年の4月フィリッピンとアメリカは新しい軍事協定に調印しました。この協定によって米軍はフィリッピンの基地を使用しながら軍事演習などを合同で進めていくことになる。中国がフィリッピンへの強硬姿勢を強めているとしても、中国とフィリッピンが単独で戦争する可能性はほぼゼロでしょう。日本と中国が尖閣列島をめぐっても日本単独で戦争するという事態もすぐには考えにくい(評者注・偶発戦闘は別か?)。問題はベトナムです。今年の5月、西沙諸島周辺での中国の公船がベトナムの漁船に衝突し沈没させました。公開された映像を見る限り中国の船が明らかに意図的にぶつけています。中国に対してベトナムが単独で戦争を仕掛ける可能性が現実味を帯びてきました。1978年末ベトナムはカンボジアに侵攻し、ポルポト政権を崩壊させました。1979年2月中国はベトナムに侵攻し、中越戦争が勃発しました。約20万人の中国兵が死亡し、中国は開戦から一カ月で撤退しました。事実上の中国の敗北です。現在の中国の兵力は中越戦争当時とは全く違っており、戦争が長期化すれば最終的には中国が勝つでしょう。日本はベトナムの単独行動を防ぐべきです。中越の国境紛争をベトナムと連携しながら絶対に中国と交戦しないように圧力をかけ続けるべきです。3、グローバリズムと国家の復権(ドットの見解を読む)●グローバル時代は、当初、市場万能時代の始まりと理解され、困ったときは“市場に聞け”という風潮が世界をおおった。その底流では“国民国家の退場”という新たな時代だとの思想の台頭が広く認められた。両者はセットであった。資本主義批判勢力の中で“新自由主義批判”万能の局面であった、つまり“国家への批判の軽視”が随伴した。●注目すべき論考が提出された。「グローバル化は“国家復活”を導く」(エマニエル・ドット:朝日7月8日)とのインタビューは注目に値する。「帝国以後」の著者であるドットの主張は興味深い(以下要旨)▲(問)(あなたは)米国の覇権の終わりと米国からの欧州の自立を予言したが。(私は)欧州の変質を見誤った。自立した欧州は衰退する米国と異なり世界の安定を推進すると思っていた。だが、今は国際情勢の不安定要因だ。米国はむしろ相対的に安定している。欧州はこの10年でEU加盟国が水平的につながる関係ではなく、経済大国ドイツが主導権を握る階層的な連合体になってしまった。統一通貨ユーロ―の存在が原因の一つだ。▲「帝国以後」は間違っていたわけですか?今の米国はローマ帝国末期に非常に似ている。帝国の軍事力を後ろ盾にした属国が強気の対外政策に出て、本国がその結果に翻弄されていった。属領として念頭に置いているのは欧州だ。ウクライナ情勢が分かりやすい例だ。欧州は欧州軍を持たないので、米国を後ろ盾として使いつつ、外交の主導権をドイツが握っている。ドイツの対ロシア外交は伝統的につかず離れずの関係を維持しようとする、米国の思うようにはならない。ウクライナ問題は米ロ冷戦の再来といわれるが、その見方は誤りだ。不安定要因としての欧州の存在こそがこの問題の本質だ。▲5月の欧州議会選挙ではEU懐疑派が議席を伸ばしたが?フランスでは右翼の国民戦線(FN)です。FNへの支持は彼らの主義主張が広がった結果ではない。欧州統合への民衆の抵抗感が原因だ。失業率が10%強でも仏政府はユーロと欧州統合を優先するとしたが、民衆は「フランスがフランスでなくなる」と批判。政治家と民衆の感覚が乖離している(中略)グローバル化によって世界がアメリカ型社会に収斂されていくという見方もあったが、そうはなっていない。この10年で起きていることは、国家の復活、再浮上だ。米国、ロシア、ドイツ、中国。第二次大戦のころの大国が再び台頭している。▲世界が昔に戻ったということですか違う。先進国はすでに消費社会の段階を終え、低成長時代に突入している。各国が直面する国内外の経済対立をどう克服するかが課題だ。グローバル化の進展は一つの世界像への収斂ではなく、国内や国家間の対立が際立つ世界を意味する。今後も“国家の時代”は続いていくであろう。少子高齢化などの新しい課題に直面している。多数を占める中高年が若者に関わる政策を多数決で決めてしまうのは、民主主義にかなっているだろうか。日本も直面している出生率の回復には、国家による中産階級世帯への支援が不可欠だが、こうした政策への支持をどう取り付けていくのか。再浮上した国家はこうした課題に取り組む必要がある。●私が特に注目した点は次の点だ。「この10年で起きていることは、国家の復活、再浮上だ。米国、ロシア、ドイツ、中国。第二次大戦のころの大国が再び台頭している」「今の米国はローマ帝国末期に非常に似ている。帝国の軍事力を後ろ盾にした属国が強気の対外政策に出て、本国がその結果に翻弄されていった。属領として念頭に置いているのは欧州だ」「欧州は欧州軍を持たないので、米国を後ろ盾として使いつつ、外交の主導権をドイツが握っている。ドイツの対ロシア外交は伝統的につかず離れずの関係を維持しようとする、米国の思うようにはならない」米国と欧州(ドイツ)の関係は、明らかに“現局面”の米国と日本の関係に酷似している。つまり、「帝国の軍事力を後ろ盾にした属国が強気の対外政策に出て、本国がその結果に翻弄されていった」、このローマ帝国末期の教訓は示唆的である。米国を後ろ盾として使いつつ、外交の主導権をジワジワと取り戻し、米国の思惑を超える独自の能動的な安全保障政策を強めながら、国家の復活=再浮上を図ろうとする。現在の安倍政治の持つ特徴を判断するうえで示唆的である。