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テーマ:Four Seasons(6)
カテゴリ:Four Seasons
最近では、毎日のように医師の友人とチャットで私のおなかの中の腫瘍に関する知識を得ようとする時間が随分と増えた。少女時代に読んだ狐狸庵先生のエッセイに、「がんノロ」という言葉についてのお話があったのを思い出す。体調が悪くなると「がんではないか」とつい疑ってしまう、かわいらしいノイローゼもどきであるが、何となくその心理が理解できてしまう。尤も私の場合は悲しいかな、実際に腫瘍を持っているので彼等の「がんノロ」とは質が少し違うのであるが。 そうして少なからず不安を抱える私を心配したセバスチャンがこちらに帰ってきて1日ドライブに連れ出してくれた。振り返ると様々な症状がくっきりと出ていたが、母の看病、私自身の仕事、そして北海道移転と私のキャパを超える出来事が重なって体を労わることを疎かにしていた。 どこへ行きたいわけでもなく、また食欲も落ちている為食事のプランにも乗り気でない私の為に、彼は花を探しに走り回ってくれた。私は春生まれ(そう言えばもうすぐ誕生日だ)だから、と言えるのかは分からないが、子供の頃から花が大好きだ。以前このブログでもお話したかも知れない。まだ補助をつけた自転車のバスケットに花の図鑑を入れ、道端に咲く花を見つけると図鑑を広げてその花を知るのがとても楽しかった。何を隠そう、今も大好きである。 セバスチャンにもそんな話を何度となくしていたから、気晴らしにと花を選んでくれたのだろう。NY郊外の家にいると、花壇に植えられた花以外にはまだ少し花の咲き乱れる季節には早い。そんな話をしながらドライブを楽しんでいたら、とても良い風景に出会った。電車がここを実際に走ることが想像できないくらいに長閑で、線路の両脇には延々と菜の花が続いていた。時折暖かい春風に菜の花たちは歌うように揺れ、つられてセバスチャンも歌っていた。私は病気であることを忘れて、華やいだ気持ちでこの1枚を撮った。良い一日。そこに「次に来る時は健康で」という思いをおいてきた。 そうそう、ご存知の方も多いはずであるが、上記の遠藤周作著エッセイの中で、面白い箇所がもうひとつ。確か阿川弘之氏ではなかったか、「私は頭が痛いから『頭がん』(=ずがん)に違いない」とお仲間方に話されたという部分を私は当時何度も何度も笑いながら読んだものだが、頭がん。いつ思い出しても、ご当人の必死な本気をよそにこのセンス。たまらない。 セバスチャンは懐かしい良い歌を歌っていた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 11, 2012 01:36:19 AM
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