神社の境内でひとり稽古
このところしばらく運動不足であったので、いま住んでいるところにほど近い神社の境内で、一通り、技と型を稽古する。武具を使う方の流儀の練習と、素手で戦うほうの流儀の練習と、体重の乗せ方から、基本的な構え方、全てが変わってくるので、自らの身体について意識を普段していないようなところまで鋭敏に知覚することになる。そしてぶよぶよになっている自分のなさけない身体をすぐに思い知ることになる。道場とは異なり、砂利の上で技を練習していると、道場でオートマティックに練習していることが、いかに無意識的に適当な動きであったか、思い知らされる。それはほんの微細な構え方のバリエーションであったり、突きや蹴りの攻撃の方法であるけれども、およそ意識しはじめると、この突きでよいのか、この蹴りでよいのか、果てしなく疑問ばかりが浮かんできて、眼前にいない仮想の相手と、とめどもない組手が始まってしまう。ひとりで練習をすると、組手での稽古が出来ないので、いまひとつ緊張感に欠けるところもあるが、ずぶずぶと自分の中に降りていくこともできるので、それはそれで、よい稽古になる。まだまだ先は遠い。