震災
阪神大震災から12年。当時は高校生だった。幸いな事に家族も怪我ひとつなく、家にひびが入る程度で済んだ。ただ、水とガスが絶たれて、市民運動場までポリバケツを持って往復した。そこは遺体安置所にもなっていたが、とにかく家族が無事であった安心感と、自分達の水をもらいたいという欲望のためか、そちらに気を向けることはあまりなかった。ボランティアの方々が全国、全世界から集まって来てくれたにも関わらず、自分は、周りでもっと困っている人たちのために何もしなかった。その後悔の念から俺は、なるべく多くの人に幸せになってもらえる仕事をしようと思い、大手メーカーに就職した。その気持ちを忘れずに、毎年この日を迎えようと思う。