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2015.02.05
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カテゴリ:ケロ日記
う~ん、評議の内容は話したらだめだけど、経験の有無は大丈夫よね?

実は・・・私、数年前に経験しました。
私の場合は、数日だけの拘束でしたが、長い場合もあるそうです。

自分たちの決めた判決が、人の人生を変えてしまうのですから、それはそれは慎重に話し合いを重ねて、議論し尽くして決めます。
私は、人生に於いて、こんなにも真剣に考えた事がないというくらい、苦悩しました。
考えすぎて晩に熱が出たほど。

先日、裁判員裁判での『死刑』判決2件が、最高裁で破棄され、無期懲役が確定されました。
『死刑には慎重さと公平性が求められる』と述べられています。

私の時は『死刑』の判決ではありませんでしたが、裁判員の方々が慎重に皆で考え抜いた量刑です。
過去の判例を基準にして、というのも解ります。
でも、それも承知で、その上で皆の総意で出た結果でしょう?
それが重すぎると、ひっくり返されたのでは、裁判員の方々の苦しみ抜いた審議は無になってしまいます。

プロと違い、我々普通の市民の感覚、常識で考える事です。
それは、時としてプロの方たちから見ると刑が重すぎる、軽すぎると思われる場合もあるとは思います。
でも、そういう感覚をあえて取り入れる為に裁判員裁判を始めたのではないのでしょうか?
と、私は思っていましたが・・・。
それに評議には裁判員だけでなく、裁判官の方々も加わっています。

どれだけ真剣に評議しても、裁判所の基準でお直しされてしまうのでは、意味がないと思います。
それだったら、裁判員裁判をやめて前の制度に戻れば良いのでは?

読売新聞の記事に『死刑に「慎重」「公平」がなぜ大切かを裁判員が理解した上で、考え抜いた意見をぶつけ合える評議を実現していかなければならない』とありましたが、それはどの裁判員裁判もそういう気持ちで行っていると私は思っているのですが?違うのでしょうか?

何か虚しさを感じたニュースでした。






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最終更新日  2015.02.06 03:50:41
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