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『ヤッホー掲載、ありがとう!』
そう言う日記を挙げた数時間後。 ひとりの女性が、75年と言う生涯をまっとうして 一生の眠りにつきました。 彼女とは、たった5年の付き合いでした。 5年の中でも、毎日顔をあわせていたわけでもなく 週に一度、挨拶する程度。 2年ほど前から、病室に顔を出しに行く程度。 でも、その“程度”の瞬間、瞬間は あたしにとっては、かけがえのない思い出であり 忘れることのできない、大切な時間でした。 そんな、5年。 そして、本来ならばこの前の日曜日に会いに行くはずだったのです。 ちょっとしたお花と、ちょっとした報告を持って、会いに行く予定をしてました。 「日曜日に会いに行く」と伝言もしてありました。 会えました。 日曜日だけでなく 土曜日にも、会えました。 でも、声と声を出し合うこともなく。 ただただ、じっと見つめるだけの1時間。 そんな2日でした。 その女性は 片瀬の恋人のおばあちゃん。です。 久しぶりに、身近な人の死を目の当たりにしました。 もちろん、知り合いの身内の不幸があったという知らせは 何度も耳にしているのですが、そのたびに悲しい気持ちにはなるのですが ただひたすら、『悲しい』と思ったのは、久しぶりでした。 ◆ 人って、いろんな理由があって、悲しくなったり嬉しくなったりすると思うのです。 でも、それって結局、悲しい気持ちを納得させるための“口実”だったりも…思うのです。 とんでもないほど悲しい。 その瞬間と言うのは、何が理由で悲しいだとか考えられません。 ただひたすらに、心が“悲しい”と全身に伝えている気がするんです。 なので、気がつけば涙が出ていたり、、するんじゃないかなって思います。 亡くなったことが悲しい。 でも、人が亡くなったからと言って、全ての人が亡くなって泣くわけではない。 それはその人のことが大好きだったから。 大好きだって理由があると思うかもしれませんが 大好きって気持ちに、理由なんてありません。 …っと、こう言うときまで、こんなこと書く自分が嫌ですが。。 何が言いたいかと言うと、人が本当に悲しんだり、喜んだり、愛しく思ったり。 そういう感情というのは、あたしはやっぱり理由のないものだと思ったのです。 頭で理解して、頭で理由を探すようのときは、その感情が感情と言うものではなくて 行動に対する1つの原因と言うものになっているのだと思うのです。 うだうだ書いてますが、結局何が言いたいかと言うと 自分の心が理由ない“感情”に出会ったときは、その感情を ただただ、とめどなく流してあげることが大切だと思います。 つらいですよね。 悲しいことなんてとくに、理由を見つけて解決したいと思いますよね。 でも、それって結局悩みの解決にはならなかったりします。 本当、最近は、あたしも含めて素直じゃない人が多いです(笑) 悲しみを解決するには、まず何よりも、その今の理由のない悲しみを キチンと自分自身で受け入れて流してあげなければ、意味がないです。 なんて思ったりしました。 片瀬@目が…目がぁぁぁ…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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