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尾張名古屋は城で持つ と云われる名古屋のシンボル名古屋城ですが 徳川家康が 関が原の戦い後、東西の要衝でもある名古屋に 大坂の豊臣秀頼や豊臣方の西国大名の抑えとして 1610(慶長15)年 築城しました。 別名金鯱城と言われますが 天守閣屋根の両端に金の鯱鉾が輝き 大きさは高さ2.6mと巨大で 徳川家の栄華を偲ばせています。 徳川家康は豊臣家の重臣の大名(外様大名)に城の工事をさせて 彼らの財力を消費させたといいますが もちろん金の鯱鉾にも多大な金が掛けられ 張られた慶長小判や大判の金は17,975両もあったといいます。 金の鯱鉾は数奇な運命を辿り 藩の財政が逼迫すると粗悪な物に取替えられ 文政年間(1818~1830)になると 薄い金箔になったり 果ては明治になって名古屋藩庁が金鯱を下ろすと 賊に狙われ盗難騒ぎなどもあったようで 結局元の天守閣上に戻された経緯があります。 太平洋戦争の名古屋空襲で消失するまでは 豪壮な天守閣や本丸御殿が完全に残り 国宝に指定されていました。 現在の天守閣は1959(昭和34)年に再建され 金の鯱鉾も当時と同寸法に復元されています。 金の鯱鉾は18金で5000万円もかかったそうです。 名古屋城一帯は 市内中心部の北端に位置し 周囲は官公庁街となっています。 天守閣から 濃尾平野に開けた中京と呼ばれる日本第三の都市圏を見渡すと 平野が少なく小高い丘陵地にまで家が建ち並ぶ広島圏と異なり まだまだ広い郊外に成長性のある余地があるように感じられました。 (名古屋から新幹線を5分も乗れば 田園がかなり拡がっています) 中にエレべーターまである 近代的な城に最初は驚きました。 名古屋は産業都市で 名だたる観光地に乏しいと言われますが 城だけは一見の価値があります。 土産屋を覗くと やはり金鯱がたくさんありました。 名古屋市街を望む 人口222万 名古屋市役所(左)と愛知県庁(右) 『日本百名城(DVD)』 プロジェクトX 挑戦者たち 第9期 名古屋城再建 金のシャチホコに託す 大名古屋城 (1/300)大型プラモ 6,143 円 名古屋と金シャチ(楽天ブックス) 金の鯱ストラップ 名古屋城本丸御殿 ういろ(大) ●名古屋市内の宿泊施設をネットでお得に予約できます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 6, 2006 06:06:59 AM
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