2004/04/04(日)11:48
襤褸
これは早くも一年半ほども前のことになりますが「厳かなひと」というタイトルの日記を書きました。厳かなひとというのは子供の頃に「お乞食さん」と呼んでいたひとたちのことなのですが、彼らは誰かの着古した背広の上着やセーターなどを着ていた様に想います。何にしても昭和40年代の彼らはすでに和服ではなかったと想うのです。昨日襤褸を買ったということを書きましたがこれもやはりさらにひと時代前のそういう人たちの持ち物であったのではないかという気がするのです。
これが元来着物の一部であったのか、あるいはただの布だったのかは今ではわかりませんがその大きさはほぼ畳一帖程でひとひとりが眠れる大きさであるというのは何か意味があることの様な気がします。もともとはあるいは「丹波布」と呼ばれる布でしょうか、そういう糸の撚りの緩く目の詰んでいない柔らかい風合いの藍染めの縞物の布であったようですが、こういう布なればこそそう頑丈なものではなく破れては継ぎを当てて直し直ししながらとうとう裏は全面が別の布で覆い尽くされ、表も今では最初の布はすでに半分程に破れ落ちてしまっています。継ぎ当てをした布はざっと見ても十数種類が確認出来ます。小さいものは数センチ四方に満たないものまであるのです。そのことごとくは時代のある本藍染めの布であり、手紡の糸を用いたものが大半を占めます。もちろん近年になって伊達や酔狂でパッチワークを楽しんだものではなくただただ大切に使ってゆく内にこうなってしまったという、これはそういう布なのです。このことから想像するとこの布が最後に使われていた時代はどうしたって明治あるいは少なくとも昭和も早い時期まで遡るのではないでしょうか。
かつて藍染めの木綿布は最も庶民的なものだったと想いますが、破れれば継ぎを当てて用いながらも最後はおしめや雑巾になって捨てられる運命にあったでしょう。それがこれほど襤褸になりながらもこの大きさで残っているのです。たとえ時代相を考えてみてもこれは相当な貧しい暮らしと共にあった布に違いないという気がするのです。このような貧しい襤褸がかくも美しいというのはいったい何としたことでしょうか。
今さら自分のようなものが襤褸の美しさを力を込めて語らなくともすでに観ているひとは観ています。襤褸の展覧会も立派な図録さえも出版されているのです。しかしそれでもこんなものに心を寄せてくれるひとはまだまだ極く一部であり、またこれほどのものを手元に置けば何か言わないではおれないのです。思い入れ抜きに言うとしても先に書いたような手紡ぎ手織りの藍染めの布の美しさというのは格別ですし、また幸いなことに藍は洗えば洗うほど当然色落ちもするのですがその色はますます純な美しさを見せてくれるのです。その柄も手の込んだ紋様はなく縞物と少しの格子に限られています。藍を基調とした様々な明度と彩度の小さな布が寄せられているのですからそこに規則性と同時に破調が生まれるのです。このリズムと風合いの確かさがこの布の美しさの拠って起こる因でしょうか。
ともかく糸や布の性質を生かした誤魔化しも無い仕事が最初の条件であることは言うまでも無いことですが、これだって他に方法もないという事情の内で誠実な手仕事が為されたというに過ぎません。そしてそういう布を破れては継ぎを当てながら大切に使ったというのも現代からすると貧しさがこういうものを大切にする心を支えていたのだろうと想います。最も当たり前の仕事が貧しさの徳のなかでこういう美しさに育て上げられたのがこの襤褸布だと言っていいのだと想います。そしてここが不思議なパラドックスなのですがこういう手間のかかる非近代的な仕事と貧しい暮らしぶりが美しいものを生み出すという以上は其処に何か大いに学ぶべき真実があるのだということです。ものとこころがふたつではない以上は、美しい心持ちを生み出す事情が正しい社会であるとすれば美しいものを生み出す社会もまた正しい社会であるということになるのです。社会が無批判に求めてきた合理的な近代も経済の豊かさもそれがはたしてどのようなものとこころを育んできただろうかと考えるならば少しは立ち止まったり振り返ったりしてもいいのだという気がします。
さてこの布は今でこそきれいに洗濯されて清められへんな臭いもないのですがかつてはどのような状況で使われていたでしょうか。こんなものを身にまとったひとは畳の上で看取られたひとではないでしょう。野垂れ死に近い死にかたをしたひとに違いないと想うのです。伝染病に倒れたひとであったかも知れません。たとえ布は美しくても衛生のほうからするととても美しいなどと言えるようなしろものではなかったでしょう。綿を育てたひと、糸を紡いだひと、染めたひと、地機を織ったひと、そして布を求めて使ったであろう沢山のひとびと、彼らは皆すでにこの世のひとではないでしょうが、この襤褸を大切に伝え語ることが少しでも彼らへの供養になるのなら有難いことだと想うのです。せめて暫くの間この使い古された柔らかい布でこのホームページを優しく包んでおきましょう。