カテゴリ:かんがえごと
柿のアルバムを纏めたついでにもう少し柿のことを。
農家の庭先に沢山の柿の実が成っている風景はいかにも豊かな感じがすると思うのですが、ぼくがこういうことを言った時にある先輩氏は「そうかな?これはいかにも貧しい感じがするんだがなぁ」と言うので驚いたことがあります。聞いてみれば、こういう風景からはもう柿の実を採ることさえ出来ない程に農村が高齢化や過疎化で疲弊している姿を感じるというのです。 一方は天の恵みを想い、他方は社会問題を考えての見方だといえばそれまでですが、自分はどうしても柿を見てそういう考えには至らない。田舎が過疎化していることも高齢化していることも現実ですが、実際に田舎に住んでいる自分の知る限りはだから柿を採り切れないかというとそういうことでも無いように思うんです。昔と違って砂糖などの甘味料も充分にあるしいろんなお菓子の類だってある。心情として何も柿など沢山採らなくてもよいと、ましてや渋柿など採って干し柿を作るというふうな面倒なことまでしなくともいいというように、つまりは柿の価値と言うか有難みがそういう意味で相対的に下がっているということではないかと思うんですね。とは言っても少しも採らないということでもないようで、いくぶんかは採るのだからそれだけ沢山も食べなくなったということと共に、やはり食べるひとの数自体も減っていると、つまりは過疎化しているということもたしかにあるのかも知れません。 豊かさと貧しさを景気の浮き沈みというような意味に限って対峙させて観念的に論じても仕方がないとは思いますが、社会全体の豊かさが柿の値打ちを下げて、やがては柿など食べなくてももっと美味しいものを買えばよいというような考えに至るということには今度は豊かさとは逆の心根としての貧しさがあると想います。つまりは貧しさと豊かさは重層的であるとも言えるのです。 これほどの豊かな景色のあるところに豊かな暮らしの無いはずが無いというのが自分の考えです。あんまりお伽噺のような幻想を抱いてはいけないとは思いますが、それでもお爺さんとお婆さんが小さな畑を耕しながら田舎に住んでいるということはこれはこれでなかなかたいしたことではないかと思うんです。価値観というのは誰にとっても創造的でなければならないし、その多様性そのものが豊かさだと言っていいんです。高齢化や過疎化もいろいろな問題があることはわかりますが、それもまったくの負の要素だけではなくそこにはそれなりの幸せなかたちというのがあるとも想うんです。 柿の実が赤く色付いてきても最初のうちは他の草木も柿の葉も青々と茂っていてそれほど目立ちもしないのですが、秋も深まり冬になるまでには柿の葉も全て落ち、また辺りの景色もすっかり侘び寂てきてその中でより深みを増した赤い実がひときわ華やかに感じられます。黄金色に実った田圃の稲刈りがすんだ頃に田圃を額縁のように彩る赤い曼珠沙華と同じように柿もまた侘びのなかの華というような感じがするのです。 雪が積もる頃になると渋柿も完熟するのでしょうか、恐々噛ってみれば思いがけず甘くて美味しいのです。冷え込む夜など暖かい仕事場から出てひとつ柿を採って食べてみればシャリシャリとシャーベットのように凍りついてこれもまた美味しいものです。 貧しい自分はもうしばらく天地の恵みである柿を目と舌とで楽しみます。これはいったい豊かさ以外のなんでありましょうか。 アルバム「柿」を御覧下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.12.14 22:42:15
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