お知り合いのブロガーさんの記事から転載させていただきました。
これはほんの功績の「かけら」ですよ。
本当に惜しい人を亡くしたことを、日本人はいつか身を以て知ることになるのでしょうね。
享年56歳。
政治家としてはもちろんこれから、人生もこれからの人でした。
奥様の悲しみを思うと胸が痛みます。
・中川氏は、農林水産大臣としてポジティブリストを導入し、中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかけた。
・中川氏は、財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。
・中川氏は、政調会長として、自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ね付けていた。
・中川氏は、拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長もつとめた。
・中川氏は、経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に意義を唱えた。
・中川氏は、毎年靖国神社に参拝することも欠かさない。
・中川氏は、非核三原則の堅持は当然”としながらも日本の核武装の是非について繰り返し“論議すべし”と言及した。
・中川氏は、日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。
・中川氏は、官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の「河野談話について早期に見直しを検討・すべきだとの考えを示した。
・中川氏は、中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。
・中川の勉強熱心は有名で、官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない、
扱いにくい大臣だったとのこと。
・IMFの専務理事ストロスカーン氏は、「日本による貢献と融資は、これまで人類の歴史で最大」とまで絶賛した。これは金出しただけでなく、各国をまとめることで世界大恐慌を回避させたことを意味するのだ。
日本のIMFでの指導実績が世界中に宣伝され、日本が世界でリーダーシップを発揮したことをアピールできた。あの酩酊会見は、その直後の出来事だった。
付け加えるならば、あの状態を飲酒によるものだと断言していたのは日本のマスコミだけであって、諸外国の記者たちは「風邪だと聞いていたが大丈夫だろうか」と心配してくれていたそうです。