カテゴリ:映画
かつて日本は、アメリカを相手に戦争をした時代があった!
舞台化もされた「ラストゲーム」最後の早慶戦は、そんな時代の実際にあった物語。 政府の発表に疑問を持つことを許されない時代・・疑問を持つことが非国民とののしられ軍人に殴られるそんな理不尽とも言える時代。そして、祖国を守るという美名のもと学徒出征として戦場に駆り出される若者たち、とき1943年。 野球は敵国のスポーツだということで試合を禁じられた、その時代に、早稲田の戸塚球場で、最後の早慶戦(慶応側から言えば、慶早戦)が、10月16日に行われた。それは、戦場に赴く学生たちの最期のゲームだった。 読売ホールで行われた18時40分からの試写会、「ラストゲーム」最後の早慶戦 を見る。 渡辺大の学生らしい爽やかさ、柄本晃の怪演とも言える飛田穂洲の存在感、石坂浩二の慶応塾長・小泉信三の教育者としての信念、学生の父・山本圭と母・富司純子の親としての悲しみ、戦渦の日常の中で、死と隣り合わせの時代を好きなことをせいっぱいやり生きたい若者たち、そんな彼らに好きなことをやらせてやりたいと願う大学の指導者や、その親の思いが画面から溢れ、思わず涙となってこぼれ落ちた。 帰らぬ人となった兄は弟に言う 「お前は、学校に残って野球をやれ、俺は、兵士となって戦場に赴く」 と、しかし、時代は、弟にもそれを許さずラストゲーム(早慶戦)の後、バット(グローブ)を銃剣に持ち替えて雨の神宮を行進する、そんな青春もあったのである。 彼らは、無事、生きてかえってくることができたのか。早慶戦に出場した選手のうち、早稲田大学の4人が戦没し、3番打者・近藤清は海軍に入隊し、1945年4月、神風特別攻撃隊として沖縄の海に散ったそうである。 そんな時代が日本にもあった、決して忘れては、いけない事実では、あるが、 映画を見終わった私の心には、ゲームを出来てよかったねという思いが、さわやかに駆け抜けたのも、また、事実である。映画っていいですね。うん♪ 開演前に、ゲストとして、主演の渡辺大君と神山監督のトークがあった! 高校生の頃の大君が、ぐっと大人になって、そこにいましたね。懐かし~~い。 お父様・渡辺謙さんからのアドバイスは「“体に気をつけて、監督のいうことをよく聞いて”という、小学生が遠足に行く時のような声をかけられました(笑)」だったとか(笑) 当日の詳細は、こちらのラストゲームのブログに! そして、映画ラストゲームの公式サイトは、こちら <見終わってから、飲みながらの話> 映画の中での早慶戦のシーンで、最後にエールの交換を行うシーンがある。 早稲田は慶応を、慶応は早稲田を「フレー・フレー」というあれ。そして、相手側の校歌を歌うのだが、一緒に試写会に行った友人は、この場で号泣していた。 あれは、最後のしかも、練習不足による大敗をきっすることになった慶応に対して行ったあの時のみのものだったと思ったらしいのである。 いやあれは、早慶戦では、今もやっているよと言ったらびっくりしていた。 わたしは、野球も観るのだが、殆ど野球を観たことがない彼女には、驚き桃の木・・今もやっているというのは、凄い。で、秋は、ぜひ早慶戦を見に行きたいそうである。春は雨が降ったなぁと言ったらかっぱを持っているので大丈夫だとか・・・いや、わたしは、へたれなので、雨に濡れるのはごご勘弁・・・・とほほ。 着物好きとしては、富司純子さんのきものにエプロン姿は、実に日本のお母さん♪ お寿司をまぜる姿がわが母に、照りを出すために団扇で寿司飯を扇ぐ娘の姿がわたしに重なる・・そうそう、こうだったの。 でも、わたしは、バリバリの戦後生まれでござんすよ(^^;; お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 27, 2008 10:06:31 PM
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