お久しぶりです。
暖かいコメをいただいていたのに、 なかなかお返事できず。。。 コメは携帯からチェックしてました さて。。。 先日の日記の後、 12日の夜中に実家から呼ばれ、 慌てて駆けつけると、 夕方に会った、ばあちゃとは息遣いが違ってしまってました。 自宅での死を希望した実父母の思いもあり、 老衰してるばあちゃ(祖母)はこのまま静かに見守ることで、 病院とも親戚とも話し合っておりましたので、 身近な伯母さまたちと私たち兄弟と実家家族のみで、 ひっそりとした夜を迎えました。 夜中3時~7時まで仮眠して、 9時頃までばあちゃを囲み、 伯母さまたちと元気だったころのばあちゃの話に花を咲かせ、 9時にヘルパーさんが来たので、 遅い朝食をとるために別室へ。。。 10時ごろに終わるので、 それに合わせていとこたちもきてました。 そろそろばあちゃの部屋へ。。。って言うころに、 ヘルパーさんが慌てて私たちを呼ぶ声が。。。 さっきまでの息が。。。 まだぬくもりのある身体だけど、 息がありません。。。 既に脈は自分たちではわからない程になっていたので、 どうしようもなく。。。 伯母も大声出して、ばあちゃを呼ぶけど、 それにも増して、 母が叫ぶ声に涙がとまらなくなり。。。 それに合わせたかのように、 パパからの電話。 「ばあちゃ、どう?」と。。。 涙、涙で語れないほどになってしまってました。 自宅での死って、そんなに珍しいことではないと思うけど、 それから30分ほどで到着した病院の先生に、 とても満足行く死を迎えられたのでは?といわれ、 ばあちゃはきっと、大満足だったんだなぁって。 とってもつらいんだけど、 どこか達成感のような、ばあちゃの希望を叶えてあげれたような、 そんな気持ちでした。 直前まで、実家でもめにもめていたお葬式の話も、 お昼頃には葬儀屋さんが来て、 次々と決まって。。。 13日に他界し、 翌日をお通夜にすることも可能だけど、 ばあちゃは昔かたぎの人。 松の葉があるうちは。。。と、 お正月が終わる15日を待ち、 16日をお通夜、17日を告別式に決めました。 5日仏になったので、 痛まないようにと、その日のうちに棺に納められました。 その棺も、とっても素敵な棺。。。 漆塗りの綺麗な花の絵が描いてある見たこともないような。 田舎の実家周辺では、とても話題になりました。 誰もみたことない!と。。。 都会では当たり前なのかな? その中ででも、ばあちゃをみることができた5日間。 触れることは出来なかったけど、 みることができてるからか、 実感がわかない。。。 関東方面の親戚たちも次々と集まり、 ばあちゃの6人の子供たちが、 夫婦でお泊り。 忙しくないわけもなく。。。 リコポも妹も大忙し。 子供たちにかまってあげる時間もなかった。。。 パパも14日~17日までお休みになったし、 リコポは13日~20日まで、仕事仲間がお休みできるように、 シフトを変わってくれたので、 最後をしっかり看取ることもでき、 本当に感謝感謝。。。 ばあちゃの希望通り、 自宅葬にすることも出来たし、 大満足。 倒れる前に戻ってくれれば。。。と思ったけど、 火葬された頭蓋骨は赤くなっていて、 脳内出血の後ですと説明を受ければ、 無理だったんだなぁって変に納得してしまって。。。 それでもみんなの心の中で、 ばあちゃは語りかけてくれてるんだなぁって思うし。 いっぱいいっぱい、 迷惑もかけたし、心配もかけたばあちゃ。 私が深夜まで頑張って縫ったお手製のペチコート。 丈を間違って、長くなったモノを、 明日履いて出かけられない。。。と泣いたのを見て、 朝までかけて縫い直ししてくれたよね。。。 父に夜中まで遊んで鍵をかけられても、 何度も何度も起きてくれて開けてくれたよね。。。 働く母の変わりに、 幼稚園の送迎、食事の準備。。。 今、自分が子供たちにしてること全てを、 ばあちゃはしてくれた。 私にとっては、育ての母と言ってもいい程に、 本当にお世話になりました。 感謝しても感謝しきれない気持ちでいっぱいです。 亡くなってしまったけど、 私の中ではまだまだ整理できない気持ち。。。 どんだけ流しても耐えない涙もあるけど、 ありがとうの気持ちでいっぱいです。 ・・・・・・・ばあちゃんへ・・・・・・ 天国へ逝ったら、 じいちゃんにお姉さんも、 みんなで待っててくれてるはず。 また歩けるようになって、たくさんたくさんお話してね。 今でも、実家の庭で、 「ばあちゃ~~ん!!!」って、 大声で叫んだら、 どこからか、 「ほ~~い!」って、 聞こえてきそうだよ。。。 本当にありがとう。。。 今まで寝たきりで、苦労も耐えない人生だったと思うけど、 天国でゆっくりと休んでください。 ばあちゃと過ごした時間を無駄にしないよう、 私もじっくり生きていこうと思います。 ありがとうございました。
|