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2003年07月01日
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日の日記に関して、興味深い書き込みを頂きましたので、それを受けてという形で今日は書きたいと思います。

昨日に日記で私は
「厳しい高等教育を受けた欧米のエリートに比べ、日本人は個人での実力が劣るとか言われ。。。。。。。確かにそれは、ある面では、間違いではないと私も思います。」

と書いた上で

私の友人の発言、
「大学院での学問のレベルは日本のほうが断然高いと思いますよ。」に対し、
「これも一理ある」と書きました。

つまり、欧米の高等教育のレベルの高さを認めた上で、
視点を変えてみると、それにも問題点があるのでは、と指摘したわけです。

しかしながら、昨日の「度々すみません」さんの書き込みを読んで、もう少し書いてみたいと思いました。今日は「英国の大学教育:厳しければいいってもんじゃない」について、続編を書いてみたいと思います。

まずもって昨日の日記に補足したい点なのですが、
私が書いているのは、学部生から修士課程まで。
それもtaught course までのことを書いています。

PhDの1年目(学校によっては1,2年目)にあたるresearch course、そしてPhDのことについては触れていません。
実は、最後に「これが博士課程になると状況が変わってくる」という一文を入れようかどうか迷ったあげく、めんどうくさくなって入れませんでした。(これは単なる言い訳です。すみませんねえ。。。)

「度々すみません」さんの第一の指摘は、
「まずはイギリスと日本をこのトピックにおいて比較するときに考慮しなければならない条件は、①イギリスの大学教育は専門科目3年間(一般教養科目が無い)であるのに対して、日米は一般教養2年間・専門科目2年間というシステムである②イギリスの修士には、Taught CourseとResearch Courseがある事に加え、学士→博士課程という飛び級も出来る③欧米は日本よりも学歴が重視される社会である、という3点が挙げられると思います。」

全くその通りですね。
どの時点を比較するのかを明示してなかったのが、まずもって私の文章の問題点であったと、認めます。

このご指摘に従い、今日はいくつかの条件を明示した上で、再度英国と日本の大学の比較をしてみたいと思います。(米国との比較はしません。私は米国の大学を知らないからです。)
ただし、比較の内容は、客観的な指標等は用いません。あくまで私の経験、見たもの聞いたものを元に行ないます。

ちなみにうちの学校は英国ではオックスフォード、ケンブリッジ、LSEの次のクラスにランクされる学校。留学生はともかく、英国人の学部生に関しては日本で言えば、早慶クラスに相当するレベルとお考えください。

まず英国と日本の大学生が最初に就職して社会に出る時点を比較してみたいと思います。

これについては、
英国=学部3年+taught master1年=4年
日本=学部4年
の時点を比較するのが妥当かと思います。英国は日本より学部が1年短いこと、英国で日本の一流企業に相当する企業に就職するのに必要な条件が、修士号であることが理由です。

この時点までに、課題に追われる英国の大学生は日本の大学生より知的な基礎体力をより身につけている、というのが一般的な理解でしょう。

しかしながら、この時点で1つ考慮しておく必要があると思うのは、
私の印象なのですが、大学に入学した時点では日本のほうが英国より、はるかに学生のレベルは高いと思われることです。

日本の受験勉強と、英国のAレベル言われる高校教育の比較なのですが、これについては経済学部で助手をやった経験のあるS田のおっちゃんがこう言っていました。

「こっちの1年生は、数学とか全くできんで。日本の高校生以下や。そっからのスタートなんや」ということです。早慶クラスの学生にして、この状態です。

また、実際にこちらの学部で学んでいるS美は度々小論文で70点以上(日本の大学で「優」に相当)、ハナちゃんは総合で最高クラスの学位を得ました。これは国際政治学科で約40人のうち、わずか3人にしか授与されなかったものです。

彼女たちの小論文を読ませてもらったことがありますが、英国人学生以上に文法がしっかりした英語を書き、論旨がしっかりした文章を書いている。非常に基礎がしっかりしている。私は、これは日本の受験教育の賜物であると理解しています。

また、日本の大学からの交換留学でうちの学校に来ているJYAの若者たち。
彼らが一様に証言するのは、「英語では苦労するけど、授業の内容をよくよく聞いていると、別に難しいことはやってない。ついていけないということはない。意外にもこっちの学生は簡単なことを知らなかったりする。」ということです。

英国の大学生が、入学後猛烈に鍛え上げられるということは事実ですが、入学時のスターティング・ポイントは正直低い。修士を出た時点で日本の若者を追い越しているかどうかは、判断が難しいところです。最近は日本の若者も就職が厳しいので、自主的によく勉強するようになっていると思いますしね。

つまり、英国の大学は「入ってくる学生のレベルが低いので、最初から鍛え上げないとどうにもならない」、
日本の大学は「学生の知的体力のレベルある程度保障されているので、学生に自由に取り組ませることができる」

という見方もありうるのではないでしょうか。一般的な見方ではないでしょうが。


次に、博士課程について。

私は日本政治をケーススタディとした研究をやっていますので、日本の政治学研究者の書いたものをよく読みます。

その印象なのですが、日本の研究者はものすごく緻密で詳細なデータをとった研究をする。
これには正直驚かされます。
よくやっているなというのが正直な印象です。
データを収集し、まとめるという作業においては、日本の学者のレベルは決して低くないと思います。

しかしながら、それが本などにまとめられた時、どうにも政治学の教科書や入門書のようなものに終わっているような印象を持ちます。要は「度々すみません」さんご指摘のように「博士課程以上に必要なオリジナリティー」がどこにあるのかあまりわからないものが多いのです。

つまり、私は政治学に関しては、日本の学者は非常にまじめにやっていると思いますが、学者に求められる理論やモデルに対するオリジナルな貢献という面では、著しく劣っているのが現状だと思います。

それは「度々すみません」さんご指摘の「知的基礎体力のなさ」が原因なのかもしれません。しかしながら私も含め、日本の大学を出て、外国でPhDを取る日本人もたくさんいるわけで、果たして日本人の「知的基礎体力」が外国勢に比べ顕著に劣るかはやはりここでも判断が難しいところです。

私はここで、日本の学者に学術論文を書くことに対するインセンティブがあまりないことを指摘したいと思います。

これは常々私が厳しく批判している、日本の学会の「論文でもないものを論文と称する風潮」。つまり、レフェリーつきの学術論文に掲載されることよりも、「中央公論」「文藝春秋」「東洋経済」などに掲載される記事を評価する風潮、学術書より、よく売れる入門書を書いたことが評価される風潮に問題があるのではないかということです。

つまり、日本の学者は非常に研究に対してまじめであるわけで、欧米の学者に比べ知的体力が顕著に劣っているともはっきり言えるわけではないのだが、学術論文を書く動機付けがあまりない。
これが学術的研究成果が欧米に比べ劣る原因ではないかと。

ちょっと話がそれますが、
私が常々批判しているのは、日本の学者のレベルではなく、要は日本の学者はまじめに実証データを集めたり、分析したりしているのに、それをオリジナルな学術論文にまで高めないで、肝心の部分で世渡り(私にはそう見える)に走って、自らの研究を入門書やただの記事におとしめているに見えるという部分。そこを私は厳しく批判しているのです。

また、欧米の大学で実践志向の人(経験をつんだ人を含む)が多く修士で学ぶ傾向が、大学の『IVORY TOWER』(象牙の塔)化を防いでいる」というご指摘について、1点述べたいと思います。

欧米の大学で実践志向の人が大学にメリットをもたらしているのは事実だと思いますが、それは欧米の大学では理論、モデルの基礎研究にしっかりした積み上げがあった上でのメリットだと理解しています。

日本の大学は「象牙の塔化」を気にするより、まず学問そのものをしっかり追究すべきではないでしょうか。
「学者には世の中がわからん」「学者になにがわかる」
という声を学者が気にしすぎて学問を純粋に取り組まず、世の中に迎合しているように見えます。

その結果が、大学とは名ばかりの専門学校としか思えない新設学部の増設。
論文も書かず、メジャー誌にレポートを書くばかりで、果てはテレビに登場して常識とはかけ離れた発言をし、「机上の空論」と批判されて恥をかく学者とは名ばかりの輩たち。

そして、最悪の現象が、私がかつて徹底的に批判した某大臣でしょう。
彼は博士号も持たず、何の研究論文もないにもかかわらず、学者の代表づらして大臣になり、「やっぱり学者はだめだ」と批判されている。

本物の学者はえらい迷惑だと思いますよ。
つまり、学者とは名ばかりの中途半端な実力の者が中途半端なことを述べるからいけないのだと思いますよ。

最後に、
私が友人の「大学院での学問のレベルは日本のほうが断然高いと思いますよ。」という意見に対し、「これも一理ある」として文章を書いた理由は、私自身が自分の研究に対して謙虚に考えたいと思うからです。

私の博士論文が完成したとき、「データを詳細に集め分析する」ことに強い日本の学者から研究の詳細な部分について、厳しい批評を受けることを覚悟するからです。海外では、日本ほど詳細にこだわらない部分がありますから。自分自身の研究を、日本の学者の鑑賞に堪えるレベルのものにしたいと思っています。

従って、私自身外国の大学で研究していることの長所と短所を謙虚に受けとめたいと考えていることから、今回のテーマで文章を書いたということを、最後に述べておきたいと思います。






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最終更新日  2003年07月02日 22時19分57秒



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