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カテゴリ:絵本の紹介
今日は、絵本の紹介で~す。 人が生きるってどんなことか、考えさせてくれる1冊です。 「わすれられない おくりもの」 スーザン・バーレイ 作 絵 小川仁央 訳 評論社 あなぐまさんは、森の長老(ちょうろう)です。みんなから頼り(たより)にされ、慕われ(したわれ)ていました。アナグマは、もう死ぬのが、そう遠くないことを知っていました。けれどアナグマは、死ぬことをおそれていませんでした。死んでからだがなくなっても、心は残ることを、知っていたからです。 ある晩、ゆっくりとゆりいすに腰掛け(こしかけ)、眠ってしまったアナグマ。 不思議(ふしぎ)ですばらしい夢をみたのです。アナグマは、長いトンネルをしっかりした足どりで走っています。もう、つえもいりません。そして、すっかり自由になったなと感じました。 つぎの日、いつものように”おはよう”を言いに来てくれないアナグマを心配(しんぱい)して、森の仲間があつまりました。きつねが悲しい知らせをつたえました。 ながいトンネルのむこうにいくよ アナグマより そんな手紙が残されていました。 森のみんなは、アナグマをとても愛して(あいして)いましたから、やりきれないほど悲しみました。そして、冬がきて、雪は地上をおおいました。けれども、心の悲しみを、おおいかくしてはくれません…。アナグマはいつでもそばにいてくれたのに...。みんなは途方(とほう)に暮れて(くれて)いたのです。アナグマは悲しまないようにといっていましたが、それはむずかしいことでした。 悲しみの中に過ごした(すごした)冬が過ぎ、地上をおおっていた雪がとけはじめました。春がきて、みんな互い(たがい)に行き来しては、アナグマとの思い出を語り合いました。モグラは、アナグマに、紙のきりぬき方を習い(ならい)上手になりました。カエルは、スケートを、はじめてアナグマに習ったことを話しました。アナグマは、カエルがりっぱにすべれるようになるまで、ずっとやさしくそばにいてくれたのです。 キツネは、子どものもころ、アナグマに教えてもらうまで、ネクタイが結べ(むすべ)なかったことを思い出しました。 みんなだれにも、アナグマとの思い出がありました。アナグマは、ひとりひとりに、別れ(わかれ)たあとでも、たからものとなるような、ちえやくふうを残してくれたのです。みんなはそれで、たがいに助け(たすけ)あうこともできました。 さいごの雪がきえたころ、アナグマが残してくれたものの豊かさ(ゆたかさ)で、みんなの悲しみもきえていました。モグラは、アナグマがのこしてくれた、おくりもののおれいがいいたくなりました。 「ありがとう、アナグマさん」 モグラは、なんだか、そばでアナグマが聞いてくれるような気がしました…
大切な人と別れるとき、生きるとはどんなことなのか、と深く考えさせられます。それは、私たちが、乗り越えていくべき「通過儀礼(七五三や成人式など、その行事を越え、脱皮するように、ひとつ成長する…という感じのことです)」の機会を与えられたと感じたりもします。 先日亡くなった叔母は明るい人でした。叔母を思い出すと、いつも笑顔で、朗らかな(ほがらかな)笑い声さえ聞こえてくるようです。そして、初七日の法要では、「あぁ、ちっちゃん、楽になったわ~。身体が軽くなって…あっはっはぁ~」と話しかけてくれました。アナグマさんみたいですね。 「母は太陽」 叔母がくれたおくりものです。。。 あっこさん、ゆうきちゃん、まりあちゃんに贈ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.12.09 00:11:05
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